(参考)外九七

小出大和守・石川播磨守魯行御用留

慶応二年八月~十月


 箱館奉行小出大和守秀実ひでみは、かねてから、サハリン島の国境について
国内の見解を決し、ロシアに赴き交渉すべきだとして、自ら渡航することを希
望していた。慶応二年二月に、ロシア陣営による日本幕吏捕縛事件が起きる
と、もはや座して派遣指令を待つに耐えず、五月に自ら江戸に赴き、さらに第
二次長州戦争のため在坂中の老中へも誓願した。

 八月十八日、小出(八月二六日、外国奉行兼帯命ぜられる)と目付石川駿河
守利政は、それぞれ遣露使節団正使・副使に任命される。十月十二日横浜を出
帆、十二月にペテルブルクに到着、ロシア外務省アジア局長ストレモウーホフ
と九回にわたり会談した。この過程で、小出はサハリン島上分界を断念せざる
を得ず、慶応三年二月二五日調印した「カラフト島仮規則」は、かえってロシ
ア南下を招来することになった。

  本冊は、八月十八日の使節任命から十月にかけての、出帆準備の期間のもの
である。小出・石川への全権委任状案や老中下知状案、派遣先での心得方につ
いての勘定奉行への石川の伺書・返答などを留めている。

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June 1996;