外270/1/44(4)

シャトーブリアンホテル領収書 Siebold宛

パリ 1867年12月20日


外270/1/44(9)

同 上

1867年10月17日


 上記二点は、シーボルト宛ホテル代領収書である。

 英公使館附通訳アレクサンドル・フォン・シーボルト(フランツ・フォン・シーボ
ルトの長男)は、休暇帰国のため昭武一行に日本より同行し、旅行中一行の諸事世話
を勤めた。

 前者は、12月17日~20日迄の宿泊代である。昭武一行は12月17日に英国巡歴(同
月1日パリ出立)を終えてパリに帰着しており、一行に同行したシーボルトもパリ帰着
後、数日このホテルに宿泊し、本人が立て替えた宿泊代を後でこの領収書と引替えに
受け取ったのであろう。なおこの文書の裏面には「卯十一月廿五日夕カリーレ江引
移」とあり、同人は12月20日(和暦十一月二五日)夕方に外国方役人の宿泊先(『滞
仏日記』にある「外国方旅宿ガリレー」のことであろう)へ移動したものと思われ
る。

 後者も、同じホテルの10月9日~17日迄の宿泊代である。昭武一行は10月9日にス
イス・オランダ・ベルギー歴訪の旅(9月2日パリ出立)より一旦パリに帰着するが、
同月17日夜にイタリアに向けて出立する。同行したシーボルトも昭武のパリ滞在中こ
のホテルに宿泊していた。なお『滞仏日記』によれば、この間にシーボルトはパリの
イタリア公使館へ赴き、昭武の同国訪問についての交渉を行なっている。

 4月25日・26日付で昭武と水戸藩士7名の衣服代領収書8点、および帽子7個分代金
領収書1点があるが、上記は昭武宛と井坂泉太郎宛のものである。

  昭武の分324フランの内訳について、本文書裏に書かれた記載では「総絹上ケ着・絹
合セヲーフルコート・繻子股引・新形股引・チョッキ・ヲーフルコート」となってい
る。

  これに対して井坂以下7名はいずれも 1人あたり 148フランで、内訳は「上着・股
引・チョッキ」とある。なお『滞仏日記』では、パリ到着の翌々日(4月13日)に
「在留中衣服等」の註文をしている。

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June 1996;