
この冊は、東大寺開田図を、本所の出版物としては異例に属する地図集の形で出版したものである。
東大寺開田図は、奈良時代の東大寺の荘園を示した絵図であって、麻布若しくは紙に書かれている。それらの今日までの伝来の経路は必ずしも詳かでないが、その大部分は明治初年に東大寺から皇室に献納せられ、現に奈良正倉院に収蔵されており、他に諸家の所蔵に帰しているものも二三に止まらない。
本所では、終戦後間もなく、寶月圭吾・彌永貞三の両名を中心に、これらの東大寺開田図の調査を開始したが、近年に至り、これら開田図の精細な写真を数ケ年にわたって撮影し、その成果をコロタイプ図版として、前年度に東大寺文書之四(東南院文書之四)図録を出版した。今回はそれに引続いて、その釈文を作成したのである。約千二百年前に作られたこのような絵図の原本が、二十余点も今日に伝えられているのは、誠に世界にも類のないことと言うべきであるが、さすがにその損傷・汚染等の甚しいものもあり、殊に麻布に書かれたものは、年を追うて褪色・磨滅することは避け難いのであって、今回、写真版並に作図に依って、現状を記録し、公刊したことの意義は、大きなものがあると考える。
次に本書に収載した諸図の略目録を掲げる。
番号 |
図名 |
年次 |
所蔵者 |
一 |
近江国水沼村墾田地図 |
天平勝寶三年 |
正倉院 |
二 |
近江国覇流村墾田地図 |
天平勝寶三年 |
正倉院 |
三 |
越前国足羽郡糞置村開田地図 |
天平寶字三年 |
正倉院 |
四 |
越前国足羽郡糞置村開田地図 |
天平神護二年 |
正倉院 |
五 |
越前国足羽郡道守村開田地図 |
天平神護二年 |
正倉院 |
六 |
越前国坂井郡高串村東大寺大修多羅供分田地図 |
天平神護二年 |
三浦梧楼氏旧蔵 |
七 |
越中国礪波郡伊加流伎開田地図 |
天平寶字三年 |
正倉院 |
八 |
越中国礪波郡石粟村官施入田地図 |
天平寶字三年 |
三浦梧楼氏旧蔵 |
参考 |
越中国礪波郡石粟村官施入田地図 |
未詳 |
天理図書館 |
九 |
越中国射水郡須加開田地図 |
天平寶字三年 |
正倉院 |
一〇 |
越中国射水郡宝田開田地図 |
天平寶字三年 |
正倉院 |
一一 |
越中国射水郡鳴戸開田地図 |
天平寶字三年 |
福井成功氏 |
一二 |
越中国新川郡丈部開田地図 |
天平寶字三年 |
正倉院 |
一三 |
越中国新川郡大藪開田地図 |
天平寶字三年 |
正倉院 |
一四 |
越中国砺波郡井山村墾田地図 |
神護景雲元年 |
正倉院 |
一五 |
越中国砺波郡伊加留岐村墾田地図 |
神護景雲元年 |
正倉院 |
一六 |
越中国砺波郡杵名蛭村墾田地図 |
神護景雲元年 |
正倉院 |
一七 |
越中国射水郡須加村墾田地図 |
神護景雲元年 |
正倉院 |
一八 |
越中国射水郡鳴戸村墾田地図 |
神護景雲元年 |
正倉院 |
参考 |
越中国射水郡鳴戸村墾田地図 |
未詳 |
某氏 |
一九 |
越中国射水郡鹿田村墾田地図 |
神護景雲元年 |
正倉院 |
参考 |
越中国射水郡鹿田村墾田地図 |
未詳 |
某氏 |
二〇 |
越中国新川郡大荊村墾田地図 |
神護景雲元年 |
正倉院 |
附録 |
摂津職河辺郡猪名所地図 |
天平勝寶八歳 |
水木直箭氏 |
以上の合計二十四点である。この中、附録の一図のみは恐らく鎌倉時代以降にかかると思われる写であるが、他はすべて奈良時代に作製せられたものと認められる。以上の諸図は、既刊東南院文書之二に写真版並に釈文を掲げてある三点を除いては、今日知り得るもののすべてを尽したのであるが、中にはその存在を全く予想し得なかったものもあり、今後、従来未知の東大寺開田図が発見される可能性も、絶無とは言えない。
今回の釈文作成に際しては、種々の制約上、多色刷を採ることは出来なかったが、その他の点では、なるべく原図の姿を伝えることに努めた、従って、条里の区画の線の不整を正して作図した他は、特に原図の形状に大きな変改を加えることなく、損傷闕失の部分もそのままその輪郭を図示し、又、図面に描かれた境界・道路・水路・山容等も、努めて忠実に模写した。文字も、その位置・大さ・字間・行間等を校量し、写真植字によって、なるべく原本通りの姿を留めるよう配慮した。
なお、原本では数箇の図を一巻に連ねたものも存するが、これは使用上の便宜を考えて、一図ごとに独立の一紙に作図し、折畳んでA4判の函に納めた。そして小冊子一冊を附し、これに例言・目次の他、正倉院所蔵絵図類の由来を知るべき史料として、古絵図包衣の墨書銘を収め、末尾には、図面上の字句について作成した索引を附収した。この索引は、人名・里名・地名・田名・雑の五項に分類してある。
担当者 川崎庸之・土田直鎮・皆川完一
(図面二四面、附例言等一冊八頁)
『東京大学史料編纂所報』第1号p.29