大日本古文書「幕末外国関係文書之三十七」

本冊には、万延元年三月朔日から三月二十日までの邦文文書一二九点と欧文文書一六点を収めた。
 この中で注目されるのは荷駄馬輸出に関する文書である。安政六年十二月にイギリスは、三ケ月以内に馬を二、三千疋購入したいと幕府に申し入れたが、幕府は千疋に数を限って承認した。万延元年二月には、さらにフランスも馬三千疋購入の希望を表明した。イギリスは購入決定の馬五百疋の入る厩を神奈川に設け、三百五十疋は買入れたが、あとの百五十疋も早く買付けたいときびしく要求する。幕府はイギリスに依頼して、フランスに売渡す馬の数を減らそうとしたが、結局フランスにも千疋を限って売渡すこととなり、これは今回のみに限るとの証書をフランスと交換して解決をみた。この馬は英仏両国が清国との戦争に使用するものであり、幕府もこのことに気づいて糺したが、イギリス公使オールコックは否定している。フランスとの交渉に当っても、幕府側は対清戦争に使用するものなら渡すことはできないと言明した。交渉の際に両国使臣は、日本の商人は馬を売りたがっていると指摘したが、幕府側では馬は農耕・運輸に使用しているので多数輸出するとわが国人民が困ると返答している。
 大老井伊直弼の遭難に際しては、幕府が大老の死を秘匿していたため、英仏米各使臣から負傷見舞の書翰が送られている。なかでもオールコックは、外科の経験があるから手当に当りたいと申し出ている。
 このほか、箱館在勤イギリス領事ホヂソンの奉行所役人に対する乱暴、横浜に設けられた外国人居留地の貸渡についての規則案、五品江戸廻し令の触案及び諸問屋に対する同申渡案をそえた町奉行伺書などがあり、開港の影響が各方面に現われはじめたことを本冊所収の文書は示している。
(邦文目次二〇頁、同本文二九四頁、欧文目次三頁、同本文一九頁、価四〇〇〇円)
担当者 山口啓二・多田実・河内八郎・稲垣敏子

『東京大学史料編纂所報』第9号 p.93