大日本近世史料「幕府書物方日記十」

本巻には、内閣文庫所蔵の〔書物方〕留牒十六(享保十八年正月より十二月まで)と〔書物方〕日記七(享保十九年正月より十二月まで)との二冊を収めた。「留牒」と表題のある一群の記録は、この「十六」をもって終っている。
 この二年間の書物奉行の異動としては、松波(金五郎)正富は、享保十九年正月十一日に元方納戸頭に転出、浅井(左衛門)奉政は同年六月五日に死去し、それぞれの跡役として、桂山(三郎左衛門)義樹が同年三月十三日に、深見(久大夫・新兵衛)有隣が同年八月八日に、新任されている。また書物方同心大槻九助は享保十八年十一月三十日に逐電したため、十二月六日より奉行全員が集まり、その善後策を相談、翌十九年二月十日に、家族・屋敷などの処理を終了している。さらに十九年三月二十九日には、大槻の跡入りとして三浦半之丞が同心に新任され、同人病気のため息子の牛之助の勤務が認められている。
 文庫の風干、及び屋敷改帳の屋敷改役に借出しなどは、例年の如く実施されているが、とくに「諸宗末寺牒」は十八年三月に寺社奉行に借出され、六月返却されたが、その内容は秘扱いで、風干の時などにも特別の処置を指示されているのは、注目すべきことである(十八年六月二十日)。
 文庫の蔵書の利用は、例年の如く盛んであるが、特に目につくのは、「救荒本草」・「農政全書」などが上呈されたり、また中国の地誌類の諸通志、州志・府志・縣志などが、享保十九年後半には、数多く上呈され、また返却されたりしていることで、この時代の社会情勢と、併せ考慮されるべき点であろうと考えられる。また両年にわたって、「御年譜」の校合を、文庫収納本と林家本とについておこない、林家献上本など二部を残して、他の三部を焼却していることも、文庫所蔵本の伝存について注目されるべきところである(十九年六月一日)。
 月番や、その助勤の制は、従来の如くにおこなわれているが、十九年十二月に入ると、毎日会所に出勤する会所請番(日直)の制度を確立しようと願い出て、許可され(十九年十二月二十日)、翌二十年正月から実施できるよう準備を整えはじめていることも、今後の日記の記述の上で変化のあることを予想させるものである。
 なお、巻末には、例のごとく、「人名一覧」「書名一覧」を添えた。
(例言・目次五頁、本文二六七頁、人名一覧二六頁、書名一覧四二頁)
担当者 山本武夫・松島栄一

『東京大学史料編纂所報』第9号 p.95**-96