大日本史料第五編之二十四

本冊には、後深草天皇の宝治元年是歳と同年雑載(暦、災異、神社、仏寺、公家、諸家、婚姻、疾病・生死、学芸、荘園、訴訟、注進、寄進、年貢、禁制・起請、譲与・処分、売買)の史料を収める。いうまでもなく後嵯峨上皇の院政中である。
 本冊の主要事項は先ず宝治元年是歳の条に収録した後嵯峨上皇が院御所冷泉万里小路殿に於て主催したところの御歌合とそれに対する蓮性(藤原知家)陳状とを、3種の異本を以て校合し、その異同を注したことである(3頁〜100頁)。左右13名づつ計26名の作者が各々10首の題を以って詠じ合ったこの歌合は、一般には宝治2年院御歌合の如く称せられるが、作者の官職が宝治元年を降らないこと、以後の勅撰集の詞書の例によると宝治2年とあるのは稀であって殆んどが宝治元年となっていることが知られる。但し、弘安元年撰集の続拾遺和歌集に宝治2年という例があるので、早くから混同して称された形跡があり、作者太政大臣を誰にあてるかについても、玉葉和歌集には後久我前太政大臣とあり、夫木和歌抄には常盤井入道太政大臣とあって一定しない。また二十七番五月郭公の右の小宰相の歌が続古今和歌集には異った歌が採ってある(22頁)など研究の余地が残されている。
 次は宝治元年具注暦断簡の整理掲載である。宝治元年は総日数355日であって、現存する暦はその中通算173日すなわち約半年間に亘っている(101頁〜121頁)。2月3日より5月8日まで及び5月28日より6月14日までの分は京都大学附属図書館所蔵の大乗院具注暦日記から、5月9日から同月27日まで及び6月15日より7月20日までの分は岡山県金光図書館所蔵の宝治元年具注暦断簡−もと高野斑山(辰之)氏の蒐集された古暦の一部−から、そして7月21日より8月8日までの分は京都市羽田太三郎氏所蔵の宝治元年具注暦断簡から収録したものであって、その間に欠脱はない。
 ついで「荘園」の条に掲げた東大寺領美濃大井荘下司職の相論に関する一連の文書には(282頁〜286頁)、去る寛喜3年大中臣奉則の下司職再補任後、奉則が麁悪なる華厳・法華両大会料絹を送進したので、東大寺側はこれを認めず、下司職を惟宗言光に宛行ったが、これに対して奉則が伝統的な力を背景として新下司言光に対抗している態がうかがえる。また高野山領備後太田荘預所と同荘赤屋郷地頭代との相論文書に於ては(289頁〜291頁)、地頭代側が預所の駈引きを陳述している点で興味が持たれよう。
(目次2頁、本文326頁)
担当者 土田直鎮・辻彦三郎・黒川高明

『東京大学史料編纂所報』第8号 p.50