保古飛呂比 佐佐木高行日記四

本冊には、巻二十五より巻二十八まで、すなわち明治二年高行四十歳の正月より同三年十二月までを収めた。
明治二年の正月を高行は新政府の刑法官判事として迎え、以来明治七年に至る司法官僚の道を歩みはじめた、同年五月には官吏公選の投票によって刑法官副知事に選任され、七月に官制改革が実施されると刑部大輔に任ぜられた。翌三年二月には参議に任ぜられたが、刑律取調のことは従来通り主管せしめられ、十月には刑部省御用掛兼帯を命ぜられた。徴士として東京に赴任するに当って、高行は高知藩から馬廻の格式と七〇石の家禄をうけ、物頭格として藩政に与ることになったが、二年二月には官爵・役領知ともに本に復された。八月には参政加役に任ぜられ役領知三三〇石を給され、さらに十二月には禄制改革により第三等官少参事に任ぜられ、二等士族上席(月俸一〇石)として永世五〇石の加禄を賞与されたが、翌三年七月、少参事を免ぜられ、月俸も除かれて、中央官僚として専任することになった。
明治二、三年は、新政府が当面する内外政の諸施策に追われながら、新たな権力機構を創出していく過程であった。その中心課題は中央集権、すなわち二年一月の薩長土肥四藩主の版籍奉還上奏から四年七月の廃藩置県にいたる藩制の解体であり、新政府はこれに対するさまざまな逆流を切り抜けねばならなかった。
本冊には、高行が司法官僚ならびに参議として関与したところの、二年一月の横井小楠暗殺、九月の大村益次郎遭難、十二月の山口藩脱隊騒動、三年四月の雲井竜雄陰謀発覚、十一月の山口藩脱走隊士の煽動による日田県農民暴動等の逆流への対処、および同年十二月の新律綱領制定等新政確立に関する諸史料を収録している。また新政府と高知藩の要職を兼ねた高行にあてた三条・岩倉・嵯峨・徳大寺、松平慶永・池田章政、大久保・大隈・大木・副島・広沢等新政府諸顕職、板垣・後藤等高知藩諸重役の書簡多数を収録していること、とくに岩倉の耳目を斎藤利行(高知藩士族、三年二月刑部大輔、五月参議)とともにつとめたことから、この間の事情を示す岩倉卿と利行の書簡を収めていることが注目される。
本冊の刊行は、「明治百年記念」臨時事業費によるものである。
(例言一頁、目次一頁、本文五一三頁)
担当者 小西四郎・山口啓二

『東京大学史料編纂所報』第8号 p.56*