大日本近世史料「幕府書物方日記九」

本冊には、書物方日記の「留牒十四」(享保十六年)・「留牒十五」(享保十七年)を収める。
 書物奉行は、前年に引続いて堆橋主計俊淳・奈佐又助勝英・松村左兵衛元隣・松波金五郎正富・水原次郎右衛門保氏で、堆橋俊淳は十七年正月十一日に船手に転じたので(正徳四年以来十九年勤仕)、後任に川口頼母信友が二月十五日任命され、五月二日には、先に「事纂」・「分類国史綱」等を撰上している浅井左衛門奉政(故書物奉行下田師古の実弟)が奉行に加えられ、十一月十日には、松村元隣が御膳奉行に転じた。尚、この後任は、奉行の員数多しとして補充されない(十一月十二日記)。
 本冊中とくに注目すべき事項は、十四年に書物所唐本屋をして大意を註記させた唐本中より、御用に達すべき分を再吟味し(十六年二月十五日記)、購入すべき闕書二十二部を選んで上申していること(五月十五日記)。十三年より始められた二部以上の蔵書の調査に基き、重複図書の廃棄処分を行っていること、十二年末に作成された「御書目録下書」七冊の再吟味がなされていること(十七年二月五日記)等であろう、重複本は、田安宗武(右衛門督)・一橋宗尹(小五郎)に頒ち、残りは払下げとされ(十六年九月四日記)、前者は十二月二十七日に引渡されている。払下げ本は、唐本屋・出雲寺に入札させ(十月四日記)、翌年二月二日に払下げられている。払下げ本には、近年長崎で購入された所謂「長崎本」も苦しからずとされ、古写本の有名古筆の有無を古筆見下延に鑑別させた(十月二十一日・二十六日記)。払下げ本を所望する側近者は多かったが(十一月十八日記)、「帝鑑図説」などは折本の方を御用とされて(十七年九月十七日記)、金二両にて買戻すということもあった(十月十一日・二十三日記)。更に、払下げは、十七年十一月三十日にもなされている。
 「御書目録下書」の吟味に伴い、書物の外題・巻附の記載も命ぜられ(十七年六月十六日記)、更に廃(すたり)本等を記載した所謂「別目録」の扱いも裁定されて、完本は御書目録に登載、不完本は処分すべきことを指示され(十月八日記)、諸藩その他からの献上本も、御書目録所載分は校合の上処分することゝされた(十一月二日記)。御書目録の中書きは十月十九日に完成進上し、十一月二日に清書を命ぜられると共に、林家にある御書目録も新目録と相違が生じたので訂正するよう指示されている。
 その他、「七経孟子考文」・「同補遺」の編修刊行の経緯を記した記事(十六年九月七日記)は経学史上有益な史料であり、三十日伺書を一紙に認めて提出することが実施されたこと(同三月二十九日記)、細井知慎(十六年六月二十日・十七年七月九日・十一月十二日記)・成嶋道筑(十七年二月二十七日記)が書物の拝借を許されていること、徳川家重と比宮(伏見宮邦永親王女培子)との成婚のこと(十六年五月十八日・六月十九日・十二月十六日記)等も目立った記事である。
 猶、巻末には例の如く、「人名一覧」・「書名一覧」を添えた。
(例言・目次五頁、本文二八九頁、人名一覧三一頁、書名一覧三六頁、第八冊書名一覧四一頁)
担当者 太田晶二郎・松島栄一・橋本政宣

『東京大学史料編纂所報』第8号 p.55*