大日本近世史料「編脩地誌備用典籍解題一」

江戸幕府は、文化七(一八一〇)年、大学頭林述斎の建議をいれて、昌平坂学問所の中に史局を設けて、地誌の編纂を開始し、文政年間から天保年間にかけて「新編武蔵国風土記稿」、「御府内備考」、「新編相模国風土記稿」等を逐次編纂した。「編脩地誌備用典籍解題」は、その際蒐集した地誌、紀行、地図類等、約二千点についての解題目録である。
凡例によれば、本解題は、文化年中収入の書のみを対象とし、その後収入したものについては、続編に譲るとあが、続編が成ったか否かは不詳である。凡例に、「凡典籍二千余部、その内千余部は冠山君の筆する処なり。その余千部は、今続補する所にして、国図名義および附録のこときは、みな新たに撰する処なり。その旧稿といへとも体例一定しかたきものは、今改定するもまゝあり、」とあることから、冠山、即ち松平定常の旧稿をもとにしたことが知られる。編纂は幕臣間宮士信を総裁とし、戸田氏徳、巖崎慎成、村井量令、海老原儼、中里仲舒らによって行なわれた。文政六年竜集昭陽叶洽秋九月、林〓宇の序、文政五年壬午季冬乙卯、間宮士信の跋を付している。松平定常(池田定常、一七六七−一八三三)は、鳥取支藩因幡新田藩(のちの若桜藩)の藩主で、佐藤一斎に師事して、古今和漢の書、地誌仏典に至るまで造詣が深く、早く致仕して、学問を友とした好学の大名である。「編脩地誌備用典籍解題」は、稿本(三十一冊)と浄書本(三十三冊)とが現存し、共に内閣文庫に所蔵されている。浄書本の内訳は、

『東京大学史料編纂所報』第7号 p.43**-44