5.一般財団法人千秋文庫所蔵史料の調査・撮影

二〇一八年七月二三日、二〇一九年一月一一日・同二月二〇日の三度にわたり、一般財団法人千秋文庫(千代田区九段南二―一―三六)に出張し、所蔵史料の撮影をおこなった。今回から、同文庫編『佐竹文書目録 古文書・古記録』にもとづき、その「古記録」の部に収められている史料を最初から撮影することにした。
 今年度撮影したのは、1「東州雑記」から53「温故撮要」の一部(第一・第二・第七・第八冊)までである。また、右の目録には収録されておらず、「目録外」として把握されている左記史料についても撮影をおこなった。
①(1)六月晦日付二階堂照行書状写
 (2)同日付二階堂行政書状写
 (3)同日付備前掾俊綱書状写
 (4)同日付修理亮照重書状写
 (5)晩夏三〇日付左京亮照綱書状写(以上五通を継紙にて写す)
  ※端裏に「一四三」の朱書押紙および「二階堂照行・宮内大輔行政照行臣・備前掾某 同上・修理亮照重 同上・左京亮照綱同上等書、但横手士矢田野新右衛門差上之」の朱書あり。史料編纂所影写本『佐竹文書』七(三〇七一・二四―一―七)所収文書の原本か。
②暦応二年九月七日付石塔義慶書状写(一紙)
 ※影写本『佐竹文書』一(三〇七一・二四―一―一)一所収文書の原本か。包紙および本紙端裏双方に「五」の朱書押紙あり。包紙に「御文書壱巻目ニ可入、沙弥義慶書写 小林兵右衛門所蔵」「佐竹上野介入道殿 又遠江守入道殿とも申伝候、御法名計」の墨書あり。
③(1)応永一一年七月二九日付沙弥某書状写(遊佐河内入道宛)(一紙)
(2)応永一一年七月二九日付沙弥某書状写(修理大夫入道宛)(一紙)
※いずれにも端裏押紙に「二十九」「沙弥某書古写 酒出一学季賢献之」の朱書あり。
(3)建武四年三月二六日付足利尊氏下文写
(4)同高師直施行状写
※史料編纂所架蔵謄写本『水戸城北四院文書』『安得虎子』所収文書と内容同じ。
(5)貞和三年五月一七日付室町幕府御教書写
(6)建武三年九月二八日付某御判御教書写(以上3から6までを継紙にて写す)
※影写本『佐竹文書』(三〇七一・三一―二〇)所収文書と内容同じ。
※端裏に「九十九」の朱書押紙、また「建武四年足利尊氏卿御下文一通/同年貞和二年高武蔵守師直書二通/建武三年尊氏御感書一通/右古来ノ写ナリ、酒出一学季賢献之」の朱書あり。
④慶長二〇年正月一七日徳川秀忠御内書写(三通)
 ※黒沢甚兵衛尉・梅津半右衛門尉・大塚九郎兵衛宛(いずれも包紙あり)
 ※三通を一緒に収めた包紙に「台徳院殿御感状」の墨書上書、および「二十三」「六ノ五」の朱書上書、「百七十四番」の朱書押紙あり。
⑤九月一一日付江戸幕府老中奉書写(佐竹求馬宛)
※包紙に「二」「百五十六」「円明院様江御老中御連名御奉書一通」の朱書上書、「百六十番」の朱書押紙あり。
⑥(1)一二月八日付足利晴氏判物写(石井豊前守宛)
※『秋田藩家蔵文書』四〇所収文書と内容同じ。
(2)九月二七日付上杉輝虎書状写(和田掃部助宛)
(3)正月二二日付北条氏政書状写(和田掃部助宛)
※右二通『秋田藩家蔵文書』一六所収文書と内容同じ。
※以上三通を収める包紙に、「六ノ五」「十八」の朱書上書、「古河公方様石井(摩損)御書之写/上杉輝虎(摩損)和田掃(摩損)御書之写/北条氏政(摩損)和田(摩損)被下候御書之写」の墨書上書あり。
⑦三月晦日付松平石見守書状(佐竹大膳大夫宛)
※端裏に「二百六」の朱書押紙あり。
⑧(1)四月三日付徳川秀忠御内書写(芦名平四郎宛)
(2)一二月一日付徳川秀忠御内書写(同右)
(3)五月二〇日付徳川秀忠御内書写(同右)
(4)六月二九日付徳川秀忠御内書写(同右)
(5)四月二四日付徳川秀忠御内書写(同右)
※以上五通、本紙に「百三十四」の朱書押紙あり。これらを収める包紙に「百三十四」「台徳院御書七通」「御文書様ニ佐竹式部少輔義都臣蓮根縫殿助某差上候と相見得候」の朱書上書、「三十一ノ十二」の朱書押紙あり。
⑨(1)一二月四日付梅津憲忠書状写(梅津政景宛)(継紙一通)
(2)一二月一一日付梅津憲忠書状写(梅津政景宛)(継紙一通)
(3)一二月二二日付梅津憲忠書状写(梅津政景宛)(継紙一通)
※いずれも端裏に「半右衛門」の朱書、「百六十九番」の朱書押紙あり。
⑩九月一〇日江戸幕府老中奉書写(佐竹右京大夫宛)(一紙)
※裏打紙に「五十五」「奉書写〈佐竹淡路義安臣引田六左衛門某献之〉」の朱書押紙あり。
⑪一〇月六日付赤須平馬通祥書状(中山文右衛門宛)(一紙・包紙あり)
※端裏に「信」の朱書押紙あり。
⑫四月一日付嶋田利正書状写(佐竹義宣宛)(一紙)
※千秋文庫所蔵『佐竹文書』中に原本あり。包紙に「六ノ五」の朱書および「大坂二度目之御陣之時、浄光院様江嶋田兵四郎殿ゟ之書状之写、本書ハ御前江差上申候」の墨書あり。
⑬七月二〇日付上杉景勝書状写(佐竹義重宛)(一紙)
※端裏に「七十二」「上杉景勝書古写〈横手士矢田野新右衛門差上之〉」の朱書押紙あり。千秋文庫所蔵『佐竹文書』中にも同内容の写を収める。ただし『佐竹文書』は竪紙であり、こちらは切紙(継紙)である。
⑭八月二五日付織田信長朱印状(佐竹義重宛)
※奥野高広編『増訂織田信長文書の研究』未収。金子「織田信長と東国」(群馬県立歴史博物館第九五回企画展図録『織田信長と上野国』所収)参照。
⑮秋田城介実季和歌・一元紹碩漢詩写(二紙・包紙あり)
※慶安四年(一六五一)九月に秋田実季(梁空)と三春藩秋田氏の菩提寺高乾院の僧一元紹碩が詠み交わした詩歌を、菅江真澄が文化九年(一八一二)に写したとされるもの。
⑯佐竹氏関係系譜書上(三冊)
(1)別紙(先祖御分流幷旧格之次第)(一二月佐竹左衛門提出)
(2)屋形様以下御誕生年取調書上(四月二五日御記録所作成)
(3)御系譜別録〈従右京大夫義処代右京大夫義敦代迄〉
 この調査は、科学研究費・基盤研究B「地域連携にもとづく秋田藩家蔵文書の史料学的研究」(研究代表者金子拓)によるものであり、科研の研究分担者である遠藤ゆり子氏・木下聡氏・佐々木倫朗氏・渡辺英夫氏にもご参加いただいた。
 撮影にあたっては、同文庫小林成子理事長・高橋宏館長のご理解を賜り、学芸員大西彩乃氏にたいへんお世話になった。感謝申し上げたい。
(遠藤珠紀・及川亘・金子拓・黒嶋敏・畑山周平・林晃弘)

『東京大学史料編纂所報』第54号