5.東京大学総合図書館所蔵貴重書等の調査

大規模改修の進む総合図書館所蔵の日本中世関係の典籍等について、二〇一四年八月より調書取りを進め、蕪雑ながらまとまった分については、『所報』五〇号より掲載している。二〇一八年五月に正面入口の利用が再開されたが、それと前後し、貴重書について、附属図書館サイトに「総合図書館 安全書庫2リスト(事務用)」として[A00:4001]~[A00:6581]の一覧が掲載され、Web上でもいちおうの通覧・検索ができる状態になっている(冒頭にメンテナンス中と注記あり、今後の扱いについては不確実)。
また二〇一二年
の当初計画以来、二〇一八年五月末段階でも「新図書館計画」サイトでは、
「既存書庫を改修した、光溢れる新しい中心空間」と謳われているが、二〇
一七年夏(二〇一七年七月十九日、第四三三回図書行政商議会資料)になっ
て学内的に公表された全体概念平面図によると、当初は地階のみで殆どな
かった本館内に書庫スペースが確保され、一般書庫の(原)和装本の自動書
庫送りはほぼ免れたようである(第四二四回資料等も参照)。以下、倉卒な
がら調書から一部を掲げる。おおむね『漢籍目録』『準漢籍目録』収録外。
閲覧・出納には毎度ながら係員諸氏を煩わせた。記して謝意を表す。
〇法華経集験記 [A00-4273]  *『漢籍目録』四一一頁。
※焼残本。巻子一軸。写本。木箱入り。貴重古典籍刊行会コロタイプ複製あ
り(『貴重古典籍刊行会叢書』第三期、一九八一年、解説太田晶二郎。解説
は『太田晶二郎著作集』四〈吉川弘文館、一九九二年〉に再録)。太田「寂
法師の法華経の験記は現存する」(『日本歴史』三九〇、一九八〇年。『著作集』
一、に再録)もあり。詳密を極めた解説に愚生の付け加えるべき点はないが、
若干の所見を参考に残しておく。尺貫法で記される法量をセンチメートルで
計測すると、縱は本紙二九・三、表具込で三一・八、横は本紙第一紙約一六・
三、第二紙五二・五、第三紙五一・七、第四紙五二・二、第五紙五一・三、
第六紙五〇・八、第七紙七・二(ここまで上巻)、第八紙三七・七、第九紙
五一・七、第十紙五二・八、第十一紙五一・六、第十二紙四四・七。上巻と
下巻との紙継の問題であるが、太田解説(注九)は上下別巻で書写されたも
のを後に貼り継いだとし、左半を失った朱書を示し、下巻首題の末筆が継目
を跨いで上巻最末紙に乗るのは補書とする。原本を観察しても補書であるこ
とは容易に確認できないが、墨色に艶があってなぞり書きしたとも見える。
法量の面からは、若干の中間欠で同一料紙の可能性は残り、将来の修理に際
しての料紙調査などで、より確度の高い推定がなされることだろう。現状は
間合紙で総裏打をする堅い表装で、折れが出ているところもある。ちなみに
総裏打の法量は、巻首補紙部分を含めて横九二・四、三九・一、七〇・一、
九一・三で上巻、下巻は七四・六、九三・四、軸元まで含めて八一・六であ
る。裏打紙の継目と本紙の継目とが重なるのは上下巻の境のみで、修補時に
は、一巻とするか、二巻とするか、両様の可能性を持つ状態であったのかも
しれない。太田解説に「近代=明治以後のわざであろう」とするように、比
較的新しい修補とみなされる。二〇〇一年特別展示会『東京大学所蔵仏教関
係貴重書展』でも出陳され、近年は韓国の研究者も含めて研究が盛んになっ
ているが、それらの整理は別の機会に譲る。コロタイプ複製は良質な出来を
誇るが、既出の翻刻(高平妙心「『法華経集験記』の研究―東大本『集験記』
翻刻の試み―」『法華文化研究』三三、二〇〇七年)にはやや問題があり、
より正確な翻刻と、朱点・擦消の類も共有可能な画像公開が求められる総合
図書館所蔵資料の筆頭であろう。
○金界入壇作法 [A00-5975]
※巻子一軸。写本。桐箱入、箱蓋貼紙「金界入壇作法」、請求番号ラベルに

B4
」を朱書追記。竹八双、木軸あり。本紙二八紙。二六・八×表紙(八双
込み)二五・〇+①四二・九+②四五・二+③四五・五+④四五・二+⑤四
五・二+⑥四五・四+⑦四五・五+⑧四五・四+⑨四五・三+⑩四五・四+
⑪四五・二+⑫四五・二+⑬)四五・二+⑭)四五・二+⑮)四五・二+⑯)
四五・〇+⑰)四五・一+⑱)四五・二+⑲)四五・一+⑳)四五・一+㉑)
四五・二+㉒)四五・二+㉓)四五・二+㉔)四五・二+㉕)四五・二+㉖)
四五・一+㉗)四五・一+㉘)四二・二(直接軸付け)、本紙総長一二六〇・
九。淡墨界、界高二三・七、界幅二・五。表紙外題直書「金界入壇作法〈□
□□〔蔵〕〉」、その下に「金〈本〉 良円(ラベルを上より貼付)」、表紙見返
しに朱方印(大)「東京帝国大学図書印」、青スタンプ「B55411」。内題「金
界入壇作法」、太字で大書、墨送り仮名・返点等あり。裏打済、一部の頭書・
標出が裁ち落としになるため、貼紙とする。本文と別筆にて書写奥書「寛元々
年五月七日、以先師法印御本、於常/住護国院房、以他筆書写校点了、良円」。
○普賢延命 [A00-6264]
※巻子一軸。写本。紙筒状の容器に収む。請求番号ラベルに「
C3
」を赤鉛筆
書きで追記。全五紙。二八・八×①二・六+②四二・五+③四六・一+④四
五・八+⑤四五・二、総長一八二・二。軸なし。楮打紙。裏打あり。朱書若
干あり、墨送り仮名・傍訓あり。裏に貼紙で楕円登記印「東京帝国大学附属
図書館・大正四年六月廿五日・213019」、第二紙内題下に朱円印「東京帝国
大学図書印」。端裏書(裏打紙に)「普賢延命〈嘉禎弐年興然本(別筆)『凡
七百年』〉」、内題(旧外題か)「普賢延命〈師 理教〉(別筆)『嘉禎二年奥書
アリ 長円房』」。書出「普賢延命/種字 (梵字a)/三昧耶 甲冑/道場
観/」、曼荼羅あり。本奥書「越前闍梨浄与口伝 興然本/嘉禎二年四月六日、
奉伝授空達御房 長円」、この裏に「正和元年〈壬子〉八月廿九
(カ)
日、於成身
院奉伝受之了、/□□」。『如法愛染王』[A00-6265](『所報』五〇号七五頁、
『漢籍目録』三九七頁)参照。
○三摩耶戒作法〈東寺〉 [A00-6266]
※巻子一軸。写本。紙筒状の容器に収む。請求番号ラベルに「
C3
」を赤鉛筆
書きで追記。本紙八紙。二六・五×①四四・四+②四四・九+③四四・九+
④四四・五+⑤四四・五+⑥四四・四+⑦四四・五+⑧二九・五、古い補紙
(軸なし)二二・八、本紙総長三四一・六。表紙紺紙直書「(朱)『呂』三摩
耶戒作法〈東寺〉」、貼紙「康暦元年八月十二日、於地蔵院以平等坊永厳自筆
本書写之訖、/東寺沙門道快/■南北□」、見返しに朱円印「東京帝国大学
図書印」および次第の概要、第一紙下に朱長方印「僧正弘基」、本紙裏に貼
紙で楕円登記印「東京帝国大学附属図書館・大正四年六月廿五日・
213020」、同じく裏にラベル「明治「四三」年/第「二三」号/「ト
( ? )
カナ」
/全「一」冊」。朱声点、読み仮名・送り仮名、朱校傍書。本奥書「康暦元
年八月十二日、於地蔵院以平/等坊〈永厳〉自筆本書写之訖、/東寺沙門道
快/同十四日、於同院以或本重校合、入落字、注/異説、削謬詞、尤可秘蔵
而巳、/《交本云、〈随心院経蔵本也、〉》康和元年十月廿日午時書了、深禅
本〈第三転、〉/以小野僧正御本、理趣房書御本也、〈初転、〉/承暦四年十
一月十二日給預、又書写并/伝受了、/峯大阿闍梨御房事也、〈第二転、〉」、
すべて本文と一筆。書写は康暦より大きくは降らない。
○大明星天子法 [A00-6097]
※粘葉装一帖。写本。一七・九×一五・八。近代の帙、外題・背「大明星天
子法」、見開き左右に旧包紙を貼付。包紙「天文古草」、朱色裂袋「天明七未
ノ年」。全六丁。押界あり、界高一五・二、界幅一・七、片面八行。墨送り
仮名・返点あり。楮打紙。表紙(一オ)左上直書「大明星天子水」、見返し(一
ウ)朱長方印(小)「東京帝国大学図書印」、青スタンプ「B65523」。二オ内
題「大明星天子法〈又名法界虚空蔵法〉」、六ウ尾題「明星天子法次第 一交
了、」、本奥書「承久三年五月十三日/為興法利生往生極楽書之、/金剛仏子
観照之」。内容は簡略な次第。南北朝~室町写。
○真言血脈図 [A00-6129]
※袋綴一冊。写本。二七・三×二〇・〇。全一八丁、墨付一七丁。薄茶色表
紙、請求番号ラベルに「
25
」と鉛筆書きを追記、左上に貼紙外題「真言宗派
(ペン書)《血脈》図〈栂尾本〉」、右上にラベル(朱)『□十九』『「伝紀」部
/第「十三」/共』。前遊び紙ウに朱方印(大)「東京帝国大学図書印」、青
スタンプ「B66405」。一オに朱方印(枠文様あり)「松平家/蔵書印」、朱長
方印「温故堂文庫」・「和学講談所」。広沢流の竪系図、朱書あり。「裏云」と
あり、道深・法助・性仁・深性などを加える。末尾、法助より性助・静海・
禅助・二品親王性仁へ、その静海より照弁―弁恵、禅助より二品親王寛性―
二品親王法弁―尊朝親王、二品親王性仁より定助・深性・禅助・能助。奥書
「正徳二年之春、請自性院僧正開栂尾山 宮御封之経蔵、/求得于古聖教若
干部、是其一也、沙門道空/栂尾山之本為巻軸、令為便検覧、私為折本、于
/正徳四年之秋、於五智山忘慮亭写之了、沙門慧旭/享保九年〈甲辰〉夏〈寓
于〉洛西御阜草庵、以五智山之本写之訖、/『一校了、』南紀護国寺沙門覚
心/同年六月晦日、以栂尾法鼓台古本校合之了、然彼本裏書無之、/(改丁)
私云、此二巻血脈者、依理明房一巻本而加末広者也、今依理明房本/校之、
往々加〽此点者是也、/彼本批云、/承久元年之比、以理明房阿闍梨御本書
之、高尾寺住僧定真〈已上、〉/但彼本首云、/延喜十二年歳次壬申仲夏五
月八日、為明法眼久住世間写過神護寺五御

持念沙門/故大師入唐法橋阿闍本
〈訳与〉已上、/(ペン書)『昭和八年四月念三日閲覧砌、訂正誤字、記入落
罫云爾、/中野達慧識』」。中野達慧旧蔵本には自身編による『中野蒐集仏教
並三教及各部絵入板本目録』(一九二六年)[C40-4254]あり。『明恵上人資料』
二(高山寺資料叢書七、東京大学出版会、一九七八年)所収「明恵上人関係
血脈集」には該当なし。
○改元定記 [A00-4204] *『南葵文庫目録』七一八頁
※袋綴一冊。写本。二七・〇×一九・〇。近代の帙入り、外題・背同じ。布
目卵色表紙、貼題箋「改元定記『水日記』〈天治元、大治元(〻〻〻)〉 『吉続□
〔記〕
』〈弘
安元〉」(他に抹消あり、読めず)、右上(朱)『二』、右下に南葵文庫ラベル「史
部/
10
函/5・6架/
15
号/1冊」。修補済でその後に虫損あり。本紙墨付
五丁に前後遊び紙。前遊び紙ウに朱方印(大)「東京帝国大学図書印」、青ス
タンプ「B19533」。一オに朱方印「南葵文庫」、朱長方印「陽春盧記」・「和
学講談所」。片面一一行。一オ「水日記/天治元年四月三日、晴、」(『増補史
料大成』長秋記・二の脱漏追加に既収。文中「為ー

」と見ゆ)より三ウ「後
可下歟、」までで余白。四オ「吉続記/正応六年八月/五日、晴、今夜改元定、」
(永仁改元、『増補史料大成』未収、史料稿本あり)より四オ「不可指南歟、」
で四ウ白紙。五オ「吉続記/正安四年十一月/廿一日、庚戌、晴、/今夜改
元定、予最前雖入御点、不出仕之間、不参/遺恨也、定房同前、左大臣上卿
云々、」のみで余白(乾元改元、『増補史料大成』既収)、五ウ白紙。江戸後
期写。
○庭訓往来古注 [A00-4015] *『南葵文庫目録』三九〇頁(現架番号増
補漏れ)、電子版あり
※袋綴一冊。写本。二六・〇×一八・二。近代の帙入り、外題・背同じ、開
いたところに墨書「昭和五年十二月五日/修覆之、」とあり修理済。後補前
後表紙、本紙五三丁。後補薄茶色表紙、左上に金箔散らしの貼題箋「庭訓往
来古注 全」、右下に南葵文庫ラベル「文部/
10
函/
72
架/
13
号/1冊」あ
り抹消。見返しに青スタンプ「B18844」および貼紙「黒川真頼氏/蔵本モ
九行廿字ニシテ系引アリ、字体粗、此書ト同シク書ノ古ルサモ/相似タリ、
巻頭ノ空紙ニ左ノ五如キ条書アリ、/此書十四五年前、京師書賈木村勝助ニ
テモトム、今日此本及ヒ新増節用下学/集ヲ携テ、了蘆翁ノ宅ニ至リ、時代
ノ鑑定ヲ乞フ、翁云、皆コレ五山本ナリ、永享頃ヨ/リ永正ニ至リ、五山ノ
僧ノ筆セルモノナリト云フ、故ニ記シテ后世ニ伝フ、/安政四丁巳年六月朔
日 神谷三園/因ニ記ス、伴信友翁存生ノ節、此本ヲ見セシニ、翁ノ云、文
明頃ノモノナラント、暫/ク彼宅ニ留置返サレシ、左スレハ両翁ノ鑑定一致
ナレハ、決定シテ可ナラン歟、」。原表紙欠。本紙罫あり、天に横界一本、上
端より〇・五程度、本文界高一九・六×各行幅一・七、片面九行。一オに朱
方印「陽春盧記」・「南葵文庫」・「東京帝国大学図書印」(大)、朱長方印「棭
斎」。一オから序文、三オより本文、書出「庭訓往来」。朱引・朱句切点、墨
返点・読み仮名・送り仮名。後筆の墨校異若干あり。頭書は多くないが、祖
本からの転写と思しきに加え、朱頭書「小中村清矩云、友人榊原芳野蔵古抄
本二種アリ、共ニ輪廻ノ上ニ連歌者雖学無性舜忍之由旧徹ノ十二字アリ、(下
略)」、「柳原本点云、此書左貫注庭訓――ト云ヘシ、三ノウ上野国左貫ト云
処ニテ注シタル由ノアレハ也、(下略)」など。五一ウ尾題「庭訓往来終」、
別筆「主錦織新三」、「紙数五十一」。五二オ「上総国大山野内宮下住人勝善
房本可也/寛永十五年八月八日」、同ウ「上総州周西之郡貞元之郷八幡坊常
住大納言求之、/能識房」、五三オ「西上総之国周集郡大山野村中山七郎左
衛門之」。奥書は五二ウ・オ・五三オの順に古い。石川謙編『日本教科書大系』
往来編三(講談社、一九六八年)に「庭訓往来註」として翻刻する古註(真
名抄)の一本。中田千代子「庭訓往来真名抄の成長について」(『実踐国文学』
二九、一九八六年)に総図本の特徴が示されている。「左貫注」は国立国会
図書館本[WA16-108]を参照。
○日蓮上人註画賛 [A00-4196] *『南葵文庫目録』二二四頁
※袋綴一冊。写本。絵なく詞書のみ。近代の帙入り、外題・背「註画賛」。
二三・三×一五・七。本紙四四丁、前後遊び紙。納戸色表紙、貼題箋剥がれ、
直書「註画賛 完」、その右肩に朱小書『異本/日蓮上人伝記』、南葵文庫ラ
ベル「宗教/
10
函/5・3架/5号/1冊」。前遊び紙ウ、朱方印(大)「東
京帝国大学図書印」、青スタンプ「B19471」。一オに朱方印「南葵文庫」「陽
春盧記」「南畝文庫」、序題「日蓮聖人註画讃序 沙門日澄録」、頭注「日澄

東京大学史料編纂所報 第53号 2018年10月 ( 72 )
注/相州鎌倉妙法寺住持啓運抄作者」。二オ内題「日蓮聖人註画讃巻一/第
一誕生」。朱引・朱句切点、朱傍注、墨返点・送り仮名あり。第八の頭注「注
云、九ケ相承トハ…」が本文行として入り込んで写されるので、底本にもあっ
たもの。第二十八の朱頭書「元史紀事本末…」は長文で第三十に及ぶ。四四
ウ奥書「註画讃五巻、有日収注、今略抄写上層、/天明八年〈戊申〉季秋念
六日 挑残灯写之畢、/太田覃(朱印:南畝)(朱長方印:大田氏蔵書)」。
後遊び紙「(重郭で括る)「寛永九年壬申三月/中野市右衛門刊行」ト奥書ア
ル板本ハ仮名本ナリ、此書ノ/文ヨリ略セル所アリ、末ニ一偈ヲシルセリ/
師命頂礼諸三宝 妙法注雨潤十方/上行録風扇来際 法界衆生悉皆成仏/寛
政四年壬子五月五日午時把筆、杏花園(朱印:杏園)」。大田南畝書写本。
○日高川双紙 [A00-4276]
※巻子一軸。紙本著色。新しい桐箱入り。紺紙表紙、外題なし、竹八双、桃
色貼紙「四百八拾三」。金銀箔散らし見返し、貼紙に青スタンプ「B2000-1」
(焼残本)、朱方印(大)「東京帝国大学図書印」。二八・〇×見返し二二・七
+①一二五・五+②一一一・三+③一二八・七+④一二八・五+⑤一二八・
九+⑥一二五・五+⑦七七・五+⑧一二八・五、軸付紙(破損)、本紙総長
八五四・四。天地に朱界線あり、界高二三・八、冒頭は枠で括る。天地の紙
端を補紙で包む。軸木あり、軸頭欠。奥書「道成寺建立年号大長五年/三月
吉日以後二百三拾年/去テ延長〈戊子〉暦/八月十日鐘巻也、/時天明二〈壬
寅〉十月/尚良書之(朱長方隅切重郭印・陰文「尚良印」)」。奥書の後ろに
一行分補紙を貼るが、もと軸付の糊があった部分の補強か。全体として、道
成寺本の絵巻を圧縮した図様で、詞書および小字の画中詞を付すもの。「上野」
の場面は道成寺本になし。非常に使い込まれた状態である。
○融通念仏縁起絵 [A00-5995]
※巻子二軸。木版墨刷。木箱入り、蓋ウハ書「融通念仏縁起絵」、蓋裏「精
林庵」、請求番号ラベルに赤で「大E-へ」と追記。緑色雲気文絹表紙、貼紙
外題(墨刷・金箔散らし)「融通念仏縁起絵 上(下)」。表紙見返し金箔散
らし、朱方印(大)「東京帝国大学図書印」、青スタンプ「B7874」。縦三五・
〇、横計測略。各段署名は絵の末に切り継ぐように入る(詞書端より長い)。
上巻末尾に「彫工田中畔道」、下巻末尾に「享和のころ、京師嵯峩の釈迦仏
像を東都/にもり来り、戸はり開きてあまねくおかませし/ことありしとき、
此縁起二巻をある人のかりよせて/とみにうつし侍りしなり、されは筆のた
ちとの/少したかへる所もものすれと、ふるきすかたを残/しはへるをも
とゝして、こたひさくら木にえら/しめ給ふ、ゑかけるひと〳〵は名と花押
とをみつから/筆してをの〳〵巻のうらにをし紙になせしを/こゝには絵の
末のおもてに出しぬ、すへてうつ/しあやまれる処々はのちのみむ人あらた
め/たゝさんことを庶幾し給ふとそ、」と墨刷あり。享和元年六月より回向
院にて清凉寺釈迦の出開帳あり。岩瀬文庫本・国会図書館本がWeb画像あり。
○舟橋様御文庫書籍目録 [A00-6386]
※袋綴横帳一冊。写本。近代の帙入り。一二・二×三五・二。全四六丁(含
白紙)。綴の紙縒で吊るすことも可能。表紙「舟橋様御文庫書籍目録」、裏表
紙「享保十一年〈午〉七月十六日」。表紙見返し朱方印(大)「東京帝国大学
図書印」、青スタンプ「B1082223」。上部に書名・箪笥名の付箋多数。舟橋
家(菅原氏)の蔵書目録。一オ書出「書本/毛詩抄〈不足〉三冊」、唐本・
板本などの注記も。朱で範囲を示す記号を加え、「右拾四色『セ』ノ箪笥入」
など保管状態を注す。漢籍・神祇書・歌書などが中心で、記録・文書の歴史
史料は大きな割合を占めないが、故実・次第・補任・記録・口宣案・宸翰・
肖像画などが含まれている。箱名として、は・に・ろ・へ・ほ・青竜白虎・
い・四・五・さ・ゑ・し・す・め・群書・四書・雑書・□・よ・あ・と・む・
ち・ぬ・御手マハリ箪笥・雑記・み・り・二・内・京・諸次第・通鑑綱目・
巻物類。史料編纂所に写真帳[RS6100-1]あり、所蔵者を酒井宇吉氏(一
誠堂)とし、その直後に附属図書館で購入されている(一九五六年)。写真
帳となったマイクロフィルムにも表紙見返しは撮影されていないが、現在は
蔵書印が押されている。「東京帝国大学図書印」は戦後もしばらく使用され
ていたとのことで、印によって入手時期が決められない。(太田晶二郎)「史
学会第五十七回大会報告 展示目録」(『史学雑誌』六七-一二、一九五八年)
第一函三。
〇史要抄録 [A00-6233]
※袋綴一冊。写本。二五・一×一九・六。五五丁+前後見返し紙(糊剥がれ、
元貼られた面に墨付あり)。素紙表紙、左上青緑色貼題箋「史要抄録」。本紙
一オに朱長方印「山本氏/文庫」、朱方印「南葵文庫」(文字のみ)、朱方印(大)
「東京帝国大学図書印」。後ろ見返し紙に貼紙「第四八七号」。五五丁(旧遊
紙カ)ウに青スタンプの貼紙「B63510」、朱方印「(6字カ、印文不明)」・「山
本氏」。五四丁ウの本文末尾に識語「(朱長方印)大永二年壬午、於于石州吉
賀郡伝法寺内棱厳庵書之、/暮春上旬、一筆◦

旃畢、老眼朦朧而不分明、恥
他見耳、流芳叟(朱方印「流芳」「祖淖」あり。片面一二行。朱句切・朱引、
墨の返点・仮名あり。頭書などの注記は殆どなし。桂林徳昌(カ)撰『灯前
夜話』の写本、諸本については柳田征司「抄物目録稿―特定の原典を持たぬ
一種の抄物1・詩文作成のためのもの」(『抄物の研究』二二、二〇一一年)
を参照(本所川本慎自の教示による)。伝法寺は、現在の島根県鹿足郡吉賀
町柿木村にあった寺院で、平凡社『日本歴史地名大系』島根県・椛谷村の項
に記述があり、『柿木村誌』一(一九八六年)三二一~二七頁を参照。

(藤原重雄)

『東京大学史料編纂所報』第53号