大日本維新史料 類纂之部 井伊家史料三十

本冊には、既刊分(第一巻・一九五九年刊行~第二十九巻・二〇一六年刊行)の補遺を収めた。何らかの理由でこれまで収録されなかった史料のうち、改めて活字にして学界に供するにたる史料を選定し、「大老井伊直弼関係史料」「安政大獄関係史料」「対外関係史料」「個別史料」に大別して、収録した。
 約半世紀にわたって刊行してきた『大日本維新史料 類纂之部 井伊家史料』は本冊をもって完了し、次年度以降索引を作成するなど、刊行分の利用環境を整えることとなる。
  大老井伊直弼関係史料
 ここには、原則、大老時代の直弼(授受)文書を収めた。老中や大老政治の実務を支えた公用人にあてた自筆の書付的な史料も多く、直弼の微細な政治過程を具体的にうかがうことのできる、類例をみない貴重な史料といえる。なお、「大老井伊直弼関係史料」に収めた文書のうち、年月日の推定が難しいものについては、彦根市教育委員会『彦根藩文書調査報告書』(一九八三年)の記載を採用した。
 直弼書付には、寺社奉行就任に関わって水野忠精の人物評価を老中に要請したもの(第六号)、外国奉行増員人事の候補者の評議をもとめたもの(第七号)、御三家付家老・水戸藩連枝・一橋家老・溜詰の呼び出しを命じた書付の控(第八号)、条約弁疏ニ付老中たちの動静についての書付(第五号)、本丸再建のための作事下奉行などの人物情報についての書付(第二一号)などがある。また、直弼から公用人にあてた書付(第一号)は、大老の職務に必要な書類の写の作成、城内からの退出連絡(第三号)、翌日の面会要請の連絡の指示(第四号)、京都への書状送付のため飛脚の様子を尋ねたもの(第一〇号)、政治的に連携していた薬師寺元真に相談のため来訪を要請するもの(第一二号)などがある。
 その他、大坂城代にあてた書状案(第二六号)では、炎上した本丸普請のために大坂三郷の富商に御用金を命じる手順(老中連署奉書にて大坂城代に命じる)にふれている。
  安政大獄関係史料
 ここには、既刊分には収録できなかった大獄関係史料のうち、まとまりをもって編集された書留類(冊子)を重点的に収めた。
 なかでも貴重なのは『老中間部詮勝手留』(第三二号)である。この手留は、京都において朝廷交渉(安政五年九月三日、老中間部詮勝上京の途に就く~安政六年二月二十日京発)にあたっていた詮勝の手許で記録された、これまで知られていなかった留で、安政六年二月九日から三月二日の記事を収録する。直弼側、京都所司代酒井忠義側、関白九条尚忠側の史料とあわせ検討されるべきものである。
 次に、処罰決定の過程を物語る史料を収録した。評定所五手掛から大老・老中に提出した仕置案として、安政六年八月頃『水戸殿家老安嶋帯刀其外之者共科書ならびに御仕置当書付』(第三三号)がある。九条家文書などでは判明しない、量刑についての検討内容が記されている。なお、本所所蔵播磨新宮池田家(町奉行池田頼方家)記録にも、同名の史料が浄書本と草稿本と存在し、文面もほとんど同一で、誤記と思われる箇所も少ない。よって、池田家浄書本が五手掛の作成したものにより近い写本であると考えるべきであろう。容疑者についての扱いと評定所五手掛からの大老・老中への申渡案の伺いについては、収監や預けの状況を記した、安政六年十月初旬頃『評定所五手掛申渡案伺』(第三五号)で判明する。また、落着申渡についてのまとまった史料として、安政六年八月二十七日より十一月二十七日迄『前水戸藩主徳川斉昭以下落着・申渡留』(第三六号)を収録した。母利美和「解題『公用方秘録』の成立と改編」(彦根藩資料調査研究委員会編『彦根城博物館叢書7 史料 公用方秘録』彦根城博物館、二〇〇七年)によれば、直弼のもとで公用人を勤めた宇津木景福が大老政治の正当性と自らの果たした役割を記録として残そうとして編纂したと考えられている『公用深秘録』も、本号史料を部分的に引用している。
  対外関係史料
 井伊直弼大老文書の中には、当然のことながら、通商条約締結から開港後に至る、日本の対外関係の変質に伴う政治・社会の変動を物語る史料が多く含まれている。これを体系的に提示することは、また別の編纂を起こすに等しい作業と想定されるので、ここでは限定的に、蝦夷地関係史料を中心にトレンチ的に収録した。蝦夷地開拓についての差出名「東西蝦夷地土人共」を名乗る某上書(第四六号、安政六年五月付)、アメリカ商船の扱いについて居留官吏との応答について届けた箱館奉行上申書(第四八号、安政六年七月付)、米公使との対話について届けた箱館奉行上申書(第五一号、安政六年一二月付)、安政六年五月日露境界などに言及した目付上申書(第四五号)安政六年六月箱館・蝦夷地の状況を論じた徒目付上申書(第四七号)などを収める。
 そのほか、幕府対外問題関係機関からの上申書を多く収めた。安政五年五月海防掛大目付・目付が老中に提出した参勤交代についての上申書(第三九号)と参勤・暇・在国の改定案は、後の参勤交代緩和策が既にこの時期に幕府の側から主体的に構想されていたことを物語るものとして注目される。その他、非常時の城内等警備についての海防掛大目付・目付上申書(第四〇号、安政五年五月付)、ペリーの通訳の日本代理人採用願についての下田奉行上申書(第四一号)、安政六年正月唐大通事から長崎奉行に英船に乗組んだ「唐人」からの情報を届けた(第四二号)、安政六年正月に漂流人を帯同してきたオランダ船よりの書簡についての長崎奉行上申書(第四三号)、横浜外国人殺害事件についての寺社奉行評議書(第五一号)などである。
  個別史料
 ここには、既刊分では各冊冒頭部分に編年で収録してきた史料に該当するもののなかから、主要なものを収めた。安政五年間部詮勝上京にそなえる九条夙子周辺の動静を報じる某書状(第五五号)、将軍上意振の内容を受ける側としての直弼に示した書付(第五七号、万延元年二月三日カ)、万延元年十二月二十二日仏師に直弼像彫刻を依頼することに触れた彦根藩側役宛同藩執権職木俣守彝書状(第六〇号)久世広周再勤への幕閣内部の反発の様子を報じる、万延元年初頭長野義言宛松永半六書状(第六二号)などをあげることができる。
 (目次九頁、本文二八九頁、口絵図版一葉、本体価格一二、八〇〇円)
担当者 横山伊徳・杉本史子・箱石 大

『東京大学史料編纂所報』第53号 p.50-51