55.英仏所在日本関係写真史料等の調査

二〇一五年一一月一日から九日まで(保谷のみ一四日まで)、英仏両国に所在する日本関係写真史料等の調査・撮影をおこなった。参加者は、保谷・箱石大・谷昭佳・高山さやかの四名である。なお、フランスにおける調査では、コレージュ・ド・フランス日本学高等研究所の馬場郁氏にお世話になった。記して感謝したい。
一、ロンドン大学アジア・アフリカ研究センター図書室(SOAS)
 幕末一八六一年に日本を訪問したフランス陸軍参謀大佐デュ・パンの日本滞在記「Le Japon」手稿本を撮影した。撮影四〇二カット。同書は一八六八年に活字本(仏文)として出版されたが、手稿本には日本で撮影した写真プリントがキャプションを付して添付してあり、きわめて史料的価値が高い。この撮影調査にあたっては、同図書室の小林富士子氏にお世話になった。
二、大英図書館
 同館大塚靖代氏、ハーミッシュ・トッド氏、ジョン・ファルコナー氏の協力を得て、日露戦争期の観戦武官ジョージ・フォークの写真コレクションを閲覧・調査した。日露戦争期のスナップ写真類である。あわせて、シベリア出兵時の日本政府作成アルバム二冊を拝見した。以上、ロンドン市。
三、フランス写真アーカイヴズ
 パリの南西にあるサンシール要塞内に位置する国立の写真保存機関である。ここにナダール写真館による湿板写真のガラス原板類が保管されており、一八六〇年代から一九三〇年代までの日本関係写真原板を閲覧調査した。学芸員のマチルダ・フェルギエール氏に面会し、担当者のキャサリン・プルディー氏の協力を得て、この日は概要を拝見するにとどめ、次年度以降に詳細な調査を実施するものとした。サンプル撮影五一カット。本調査には、コレージュ・ド・フランス日本学高等研究所の馬場郁氏に諸事仲介していただき、松崎碩子元所長にも御参加いただいた。感謝したい。
四、コレージュ・ド・フランス日本学高等研究所
 同研究所の馬場氏の仲介を得て、パリ第七大学のピエール=エマニュエル・ルー氏が所蔵するエシュマン写真アルバム三冊を撮影調査した。撮影数五一五カット(赤外線撮影含む)。エシュマンは明治初年に日本を訪問したフランス第二次軍事顧問団の一員であり、ルー氏は子孫である名付け親から譲り受けたという。ルー氏自身も丙寅洋擾についての著作がある朝鮮史研究者である。撮影した画像の取り扱いについては覚書を結んでいる。
五、フランス国立図書館
 一八六四年にパリを訪問した池田使節(鎖港談判使節)の写真プリントを
調査した。八六カットを簡易撮影。
 以上が英仏両国における古写真(写真史料)調査の概要である。
(以上、保谷 徹・箱石 大・谷 昭佳・高山さやか)
六、フランス国防省歴史資料部(SHD)
 パリ東郊ヴァンセンヌの国防省歴史資料部で、フランス海軍省文書の撮影をおこなった。フランスの陸・海軍省文書については、拙稿「フランスの文書館と日本関係史料」(『東京大学史料編纂所研究紀要』八、一九九八年)において、当時の所蔵状況をまとめたことがある。当時は陸・海軍それぞれに、陸軍歴史資料部(SHAT)と海軍歴史資料部(SHM)に保管機関が分かれ、また第二帝政以前の海軍省文書は国立文書館(AN)に所在したが、数年ほど前に国防省関係が一括され、AN からも移管されてSHD に一本化された。ここでも馬場郁氏のご助力を得て事前交渉などをおこなっていただいたが、交渉もむなしく、当日の撮影はデジカメ手持ちで実施せざるをえなかった。九〇年代の調査時に何らかの理由で閲覧停止となっていたファイルのうち、利用可能になっているものを閲覧請求して撮影した。撮影ファイルは以下の通りである。
海軍省作戦文書BB4/812(抄)1862年訓令、BB4/858(抄)1866年訓令、同BB4/1373(抄)北東アジア関係図他、BB4/1535(抄)横浜公使館・長崎領事館他、BB4/1554横浜病院図、BB4/1555(抄)箱館戦争・日本の石炭レポート他、以上。
 また、陸軍省文書の第二帝政期の一般通信G8の目録を閲覧したが、この二〇年のあいだ、目録化の進展はほとんどみられなかった。わずかに、年代対応だけが公開されていた。1-7:1852-1853、8-9:1853、10-18:1854、19-27:1855、28-37:1856、38-45:1857、76-53:1858、54-63:1859、64-72:1860、73-81:1861、82-89:1862、90-96:1863、97-104:1864、105-112:1865、113-122:1866、123-137:1867、138-152:1868、153-166:1869、167-175:1870、以上すべてG8。
七、フランス外務省外交史料館
 同館も市内のいわゆるケードルセーから、パリ北方のラ・クーベルニュ・オーベルヴィリエ駅前に移転している。新しく巨大な文書館である。所蔵史料は新たにMNESYS システムで電子カタログ検索が可能になっていたが、少なくとも日本関係では新たな史料群は検索できなかった。
 収集済の史料ファイルで現在の架番号は以下のとおりである。
Correspondance Politique Japon(CPJ): 59CP, 46 volumes
Correspondance Politique des Consuls(CPCJ): 35CPC, 1 carton
Correspondance Consulaire et Commerciale(CCC)
 Yedo: 367CCC, 6 volumes
 Yokohama: 368CCC
 Tokyo: 339CCC
 Nagasaki: 217CCC
 Kobe: 148CCC
Affaires Commerciales- Negociations
 Japon: 26NCOM 1,
Correspondance 1861-1878, 以下Vol.17まで。
 なお同館では、マイクロフィルムがあるものについての原本閲覧は許可されず、MF リーダーでの閲覧に制限されていた。
 以上である。なおパリを発ったのは一一月一三日(金)の夜、市内での忌まわしい同時テロ事件の二時間前であった。
(保谷 徹)

『東京大学史料編纂所報』第51号