4.栃木県・福島県下所在中世史料の調査・撮影
二○一四年七月一六~一七日、栃木県宇都宮市ほかに出張し、所在史料の調査・撮影を行った。撮影史料は以下の通り。
〔栃木県立博物館所蔵文書〕
康安二年正月十一日 足利基氏願文
(年未詳)九月廿四日 北条氏政書状
(年未詳)九月九日 佐竹義重書状
天正十年九月二日 徳川家康朱印状
(年未詳)二月廿一日 足利成氏書状
慶長五年九月廿五日 徳川家康朱印状
観応二年十月廿一日 足利尊氏御判御教書
観応元年十二月九日 足利直義御教書
(天正十八年)八月朔日 豊臣秀吉朱印状
(年未詳)六月十八日 足利義輝書状
(年未詳)十月十五日 徳川秀忠書状
(永禄九年カ)五月廿日 足利義昭御内書
(年月日未詳) 徳川家康請取状
(年未詳)十二月十九日 足利尊氏御内書
(年未詳)十二月三日 足利義晴御内書
(年未詳)八月廿九日 足利義輝御内書
(年未詳)三月十九日 足利義氏書状
建武三年三月十三日 足利尊氏御内書 ※要検討
天正十八年九月七日 豊臣秀吉朱印状
(年未詳)十一月六日 某朱印状
天正十八年四月日 豊臣秀吉禁制
(年未詳)八月朔日 豊臣秀吉朱印状
(年未詳)六月一日 豊臣秀吉朱印状
(年未詳)三月十七日 豊臣秀吉朱印状
(年未詳)二月十四日 豊臣秀吉朱印状
〔結城秀康文書(清水文書)〕栃木県立博物館所蔵
天正十八年九月晦日 朱印状
文禄五年正月廿日 黒印状
慶長三年二月廿二日 黒印状
慶長三年十一月廿一日 黒印状
慶長六年九月九日 朱印状
慶長六年九月九日 朱印状
慶長六年九月九日 朱印状
慶長四年三月十三日 家臣奉書
慶長参年九月廿四日 判物
〔板橋文書〕栃木県立博物館所蔵
『石川町史』参照
〔興野文書〕
『栃木県史』史料編 中世五 参照
〔首藤石川文書〕
『石川町史』参照
〔石川大蔵院文書〕
『石川町史』参照
〔迎文書〕
『石川町史』参照
〔和気文書〕
天文廿三年正月二日 宇都宮義秀名字書出
永禄十一年十月廿四日 宇都宮広綱官途状
天正十三年卯月二日 宇都宮国綱官途状
慶長十四年極月十三日 某官途状
当日は、栃木県立博物館学芸部長江田郁夫氏、興野信嗣氏および御家族、石川町立歴史民俗資料館学芸員佐原崇彦氏、石川町文化財保護審議委員小豆畑毅氏、和気達郎氏、塩谷町教育委員会川上氏にはたいへんお世話になった。記して謝意を表する。
(伴瀬明美・井上 聡・村井祐樹)
『東京大学史料編纂所報』第50号