描かれた倭寇─「倭寇図巻」と「抗倭図巻」

本書は、二〇一〇年九月に締結された中国国家博物館との共同研究のため
の覚書に基づき、共同利用・共同拠点特定共同研究「本所所蔵品ならびに中
国国家博物館所蔵品にみる「倭寇」像の比較研究」(二〇一一~一三年度)、 画像史料解析センタープロジェクト「東アジアにおける「倭寇」画像の収集 と分析」(二〇一一~一四年度)を中核とし、「ロシア・中国を中心とする在 外日本関係史料の調査・分析と研究資源化の研究」(保谷徹代表、二〇一一 ~一四年度)等の科研の協力を得ながら行なわれてきた、「倭寇図巻」につ いての共同研究の成果をまとめた、オールカラーの図録である。二〇一〇年 度から積み重ねられた六回の研究集会、四回にわたる中国での史料調査・現 地踏査、『東京大学史料編纂所紀要』二二・二三・二四・二五に収載された 計一五本の論文等の成果をコンパクトにまとめつつ、「倭寇」像の研究に必 要な図版をハンディな一冊にまとめ、今後の研究のための基盤を提供するこ とを目的としている。
構成は以下の通り。
はじめに
第1章 「倭寇図巻」の魅力を探る
第2章 二つめの倭寇図巻─「抗倭図巻」の発見
第3章 比較検討「倭寇図巻」と「抗倭図巻」
第4章 三つめの倭寇図巻? ─幻の「平倭図巻」
第5章 倭寇の記憶─「太平抗倭図」の世界
一章・二章では「倭寇図巻」「抗倭図巻」を可能な限り画面を大きくとっ て収録した。三章ではまず「1、図巻を解剖する」と題し、「倭寇図巻」「抗 倭図巻」の二つを、構成・場面・モチーフ・表現様式の四つの視点から詳細 に比較した。これにより、二つの図巻が、倭寇に対する明軍の勝利を描くと いう同じ主題を持ち、非常によく似た画面構成をとり、特徴的なモチーフを 同じくしながら、表現様式の面では相当の隔たりがあることを示した。つい
「2、蘇州片の世界」と題し、明代後期に流行した名作の贋作づくりの動 向を紹介し、「蘇州片」と呼ばれる、こうした贋作群の系統に「倭寇図巻」「抗 倭図巻」も位置づけられること、つまり、《原倭寇図巻》ともいうべき作品 が最初にあり、両作品はそこから派生してきた模本と位置づけられることを 指摘した。「3、文字は語る」では、本所写真室による赤外線撮影で発見、 読み取ることのできた「倭寇図巻」「抗倭図巻」の文字の写真全てを掲載し、 文字から読み取れる、「倭寇図巻」「抗倭図巻」の性格、ひいては《原倭寇図 巻》の主題の追究を試みた。赤外線撮影の手法の解説もコラムとして収めている。
続く四章では、二〇一一年一二月の国際研究集会で馬雅貞氏によって紹介 された「文徴明画平倭図記」の史料の解読を手掛かりに、《原倭寇図巻》は、 徐海・王直の倭寇の二大頭目を殲滅したことで知られる胡宗憲の戦勲図とし て作成されたのではないかという推論を展開した。「文徴明画平倭図記」は、 一九世紀初頭に揚州の阮元なる人物が所蔵していた「平倭図巻」の解題であ る。「平倭図巻」は現在、所在不明であるが、「文徴明画平倭図記」の語る「平 倭図巻」の図柄は、「抗倭図巻」に一致する部分が多いことが、馬氏によっ て指摘されている。本章ではこの成果に依りながら、1《原倭寇図巻》の模 本としては「平倭図巻」「抗倭図巻」「倭寇図巻」の三点を現在確認できる、 2「文徴明画平倭図記」の見解によれば、「平倭図巻」の主題は胡宗憲の徐 海退治であるが、「弘治三年」「弘治四年」年号を持つ「抗倭図巻」「倭寇図巻」 においては、徐海退治が主題であるとは位置づけえない(徐海は弘治二年自 殺)、3《原倭寇図巻》は、胡宗憲の徐海退治を中心とする倭寇退治の戦勲 図であったが、模本が多数つくられていく過程で、主題が展開変化し、胡宗 憲という個人を離れて倭寇に対する明軍の勝利と、それに伴う平和な暮らし の再来を描くものになっていたのではないか、「平倭図巻」は胡宗憲の戦勲 図という要素を色濃くのこし、「抗倭図巻」「倭寇図巻」は変化後のものでは ないか、との暫定的な結論を示した。
五章では、胡宗憲の物語からは離れて、新たに発見された倭寇図のうち、 「太平抗倭図」に注目した。これも中国国家博物館の所蔵である。太平は、
現在の浙江省台州市温嶺市に属する町である。本図は、この町を倭寇が襲っ
際、民衆は投石して抵抗し、明軍は鉄砲を持って駆け付け、儒学の樟の上
には関羽が出現し、倭寇を撃退したさまを、約二メートル四方の紙いっぱい
に描くものである。かつては町の関帝廟に収蔵され、毎年五月に三日間公開
されていたという。町の記憶としての倭寇撃退を絵解きのかたちで示すもの
として、注目される。本章ではこの「太平抗倭図」の全図と、やや粗い画像
になってしまったが部分図を示し、扇と日本刀をもって突進し、掠奪を行な
う倭寇たちの姿を紹介した。
本図録作成にあたっては、共同研究等にもご参加いただいた陳履生(中国 国家博物館)・黄栄光(中国科学院)・馬雅貞(清華大学)・植松瑞希(大和 文華館)・鹿毛敏夫(名古屋学院大学)・村井章介(立正大学)・山崎岳(京 都大学)・板倉聖哲(東京大学東洋文化研究所)・榎原雅治・久留島典子・高 山さやか・谷昭佳・藤原重雄・保谷徹・村岡ゆかり(以上史料編纂所)のご 尽力を得た。直接に原稿をお寄せいただいただけではなく、全体構成から細 部にわたるまで、種々のご教示・ご助言をいただき、数度に及ぶ校正および 色校正も担当していただいた。深く感謝申し上げるものである。なお図録に 示される見解は、各氏の見解の最大公約数的なあたりと思われる部分を須田 がまとめたものであり、個人の見解とはずれる部分もある。この点について は、続いて論集の刊行を予定している。また本書は二〇一四年一〇月にいっ たん刊行されたが、直後に印刷不良が発覚し、回収刷り直しとなった。刷り 直した本が市場に出たのは、二〇一五年一月のことである。ご迷惑をおかけ した諸方面にお詫び申し上げる。
(全一一二頁、本体価格二、五〇〇円、吉川弘文館発行)
担当者 須田牧子

『東京大学史料編纂所報』第50号 p.50-51