31.仁和寺所蔵史料(御経蔵)の調査・撮影

二〇〇九年一一月二三日から二七日まで、並びに二〇一〇年三月二二日から二五日までの期間、総本山仁和寺(京都市右京区御室大内三十三)を訪れ、御経蔵第六十三から第六十六箱・第七十六箱、並びに第五十九箱から第六十二箱までを調査し、マイクロカメラによる全文撮影を行った。
なお、御経蔵第六十箱五〇号「息災護摩私記〈不動〉」について、左に概要を記す。
折本一帖。法量一六・五×一四・五。各紙横幅①三二・九、②五〇・八、③五〇・八、④五〇・八、⑤二三・七、⑥四八・三、⑦五〇・八、⑧五〇・八、⑨五二・五、⑩五〇・八、⑪五一・七、⑫五二・五、⑬五二・三、⑭五二・六、⑮五二・六、⑯五二・六、⑰五二・四、⑱五一・七、⑲一四・七。
糊剥がれ多。紙背には、熊野十二所権現への十万灯奉献状が半裁されている。文言はほぼ同じで、「無辺御願成就円満」などとするものもある。おおむね五顆の朱の宝印を捺す(朱印のみで版木墨刷の牛玉宝印はない)。天地接合する年紀が最も古いものを掲げる(ただしこれだけは朱宝印が捺されていない)。
  敬白
    熊野十二所権現御宝前
   奉供
    御灯明十万灯
  右、奉為 護持親王息災安穏・御願/円満、奉供如件、
    建長六年九月廿三日  法印大和尚位教禅敬白
  接合を復元して目録にすると以下の通り。差出と「奉為」の後を括弧内に示した。
⑱(上半欠)□月廿四日   大法師善秀    (護持親王)
⑭+⑯:建長六年九月廿三日 法印大和尚位教禅 (護持親王)
⑩建長七年九□(下半欠)           (大施主)
⑫+⑨:建長八年三月十五日 法印大和尚位教禅 (護持親王)
④正嘉元年七□(下半欠)           (護□〔持〕)
①+⑥:(年欠)三月十四日 法印大和尚位教禅  (護持親王)
⑰(上半欠)□月廿三日   法印大和尚位教禅 (□〔護〕持親王)
⑲(上半欠)□月廿七日   法印□(大和尚位教禅カ)
⑬+⑮:正嘉三年二月廿三日 法印大和尚位教禅 (護持大王)
⑪正嘉三年(下半欠)             (護□〔持〕)
③+⑧:正元々年五月三日  法印大和尚位教禅 (護持大王)
②+⑦:正元々年七月廿三日 法印権大僧都教禅 (護持太王)
⑤(上半欠)十一月七日   法印権大僧都教禅 (護持大王)
  教禅は、貞永元年四月十一日に良遍より灌頂を受けており、四十歳、成海真弟子とある(血脈類集記)。父子で御室に仕え、親王・大王は性助(省仁親王・後中御室)ならん。

(菊地大樹・高橋典幸・藤原重雄・前川祐一郎・川本慎自・林  譲)

『東京大学史料編纂所報』第45号