30.賀茂別雷神社文書の調査

二〇〇九年七月一三日~一五日、京都賀茂別雷神社に赴き、所蔵文書の調査・撮影を行った。目的は、同社所蔵鎌倉時代文書写の調査、『大日本史料』第十編之二十七(天正二年雑載)収録予定の同社算用状の閲覧および原本校正である。また、科学研究費基盤研究(A)「協調作業環境下での中世文書の網羅的収集による古文書学の再構築」(研究代表者近藤成一)の課題である同社所蔵『鎌倉遺文』未収文書の調査、同基盤研究(C)「「信長記」諸本の史料学的研究」(研究代表者金子)による同社所蔵太田牛一関係史料の調査もあわせて行った。
『大日本史料』第十編編纂・太田牛一関係の閲覧史料については、京都府教育委員会『賀茂別雷神社文書目録』(平成一五年三月三一日、京都府教育委員会編集発行)の整理番号のみを左記に示す。
Ⅱ―E―二―一二九・三〇・二七六、Ⅱ―G―一―五三、Ⅱ―G―二―二八・三二~三五・五四、Ⅱ―G―四―一一・八三、Ⅱ―I―一―一四九・一八七・二三一・二六五・二六六・二八五・二八六・二八八・二九二・二九七・三一三~三二九・四二一・四三一・四四二・四五四・四七五・四七六・四八八・五〇〇、Ⅱ―I―二―二~四、Ⅱ―I―四―一七九、Ⅱ―I―五―八二・八三・一四九・一九三~二〇八・二一〇・二一一・二六四・四〇〇~四〇六・四四一・九〇七・一一〇六・一一〇七・一三四七、Ⅱ―I―六―一〇一、Ⅱ―L―七四、Ⅱ―M―五〇~五五・一〇一・一一一。
このうち、Ⅱ(土蔵)―I(算用状)―一(職中)および五(算用状一般)などに収められている天正二年分算用状群については、『大日本史料』第十編之二十七に収録すべく編纂作業を進めている。
『鎌倉遺文』未収文書については、目録では格別の注記のないものである。いずれも近世前期の写であり、『鎌倉遺文』では、別文書・写本から採録していることが確認された。調査文書と『鎌倉遺文』番号・出典を以下に記す。
F―一―18正応二年五月二六日後深草上皇院宣写→(鎌)一七〇一五号鳥居大路文書/F―二―4文治二年九月五日源頼朝下文写→(鎌)一六八号鳥居大路文書の抄出/F―二二正和三年閏三月四日伏見上皇院宣写→(鎌)二五一一七号座田文書/F―二三年月日未詳関東下知状断簡写→(鎌)二九六九九号賀茂注進雑記の部分/F―六九天福二年十月八日六波羅御教書写→(鎌)補一一五二号座田文書/F―七〇文暦二年六月一三日六波羅御教書写→(鎌)補一一六七号座田文書/F―七一文暦二年七月一八日六波羅御教書写→(鎌)補一一六八号座田文書/F―八二―1正安二年三月二三日関東下知状写→(鎌)二〇四〇九号温故古文抄/F―八二―2正安二年七月一二日六波羅施行状案→(鎌)二〇四八八号尊経閣蔵加茂社文書
所蔵史料調査撮影の許可を与えられた賀茂別雷神社田中安比呂宮司、調査にあたり格別のご配慮を賜わった同社米田裕之氏に厚く御礼申し上げたい。

(金子 拓・黒嶋 敏・遠藤基郎)

『東京大学史料編纂所報』第45号