東京大学史料編纂所影印叢書 室町武家関係 文芸集

影印叢書は、史料編纂所が所蔵する原本史料等を精選し、影印によって刊行するものであり、本冊には、武家が文芸に関わるなかで生成された史料を収録した。内訳は、①足利尊氏奉納稲荷社詠八首和歌 ②源経氏歌集 ③耕雲紀行 ④飛鳥井雅縁譲状 ⑤飛鳥井雅親消息案 ⑥飛鳥井雅康消息 ⑦蜷川親元筆百首和歌 ⑧蜷川親元詠草 ⑨蜷川親元書状(二通)、いずれも一四世紀・一五世紀に生成された史料である。

③⑦⑧は自筆、②は複数の合点や追記があり、①は料紙に装飾が施され、それ以外の書状類でも、④には系図に相伝の記載が書き加えられるなど、いずれも影印の形で出版するにふさわしい史料と判断した。

⑦⑧⑨は、室町幕府政所代を勤めた蜷川親元に関わる。親元の歌集・定数歌は、おのおの二点、あわせて四点知られており、うち自筆二点を掲載したことになる。⑦は堀河百首題による百首和歌で、近江延寿寺で詠んだもの。⑧は、文明四年(一四七二)正月から翌年五月までの日次詠草で、収録歌数も五百を超えて残存する親元和歌の中心をなすとともに、歴史史料としても価値は高い。錯簡を正して掲載した。紙背には「月庵和尚仮名法語」がある。月庵宗光の仮名法語は、もとは詠草の紙背を利用した二次利用であり、一種の綴葉装のような特殊な形態をなしていたと判明した。今回の影印本では紙面のかたちで掲載するため、本来の順序は一見して解しがたい。そこで、通番を半葉ごとに欄外に注記し、本来の順序を示した。また解説に、五山版月庵仮名法語との収録法語の対照を表にして掲げた。

②も武士による歌集で、南北朝時代のもの。合点・円点あわせて六種が加えられ、点の主は、御子左為遠・二条良基・四辻善成などと巻末に注記され、また奥書から、墨円点は耕雲が足利義持の命で加えたと判明する。点の朱墨の別はモノクロ写真では判別しがたいため、巻頭カラー図版に一紙を例示し、朱点はABCといった記号を欄外に付して別を示した。

①③は、将軍との関わりの中で成立した作品である。③は、応永二五年(一四一八)、足利義持が伊勢参宮を行った際、随行した耕雲の歌日記で、義持の命により成立した。自筆とみなされ、②奥書と同筆である。耕雲明魏は、南朝に仕えた花山院長親で、おおくの文芸作品を残すばかりでなく、義持に近仕して政治面で果たした役割も注目されている。解説では、耕雲自筆とされる伝本、および義持との関わりで成立した耕雲作品につき、先行研究を参考に能うかぎり列挙し、今後の研究の一助とした。①は、暦応二年(一三三九)、足利尊氏発願による稲荷社奉納和歌のうち、実性の八首と尊氏跋文。解説では、尊氏奉納和歌として現存する作品を列記した。うち穂久邇文庫所蔵「春日社頭公武和歌」との関連が注目される。

④⑤⑥は各一巻で同一装丁(寛政年間)のもの。歌鞠で知られる飛鳥井家と武家との関わりを如実に示す。早稲田大学中央図書館所蔵の「三条実量書状」等二点と本来一具であり、その対比から、④⑤⑥の装丁は飛鳥井雅威によることなど、伝来について多くの新知見が得られた。⑤の雅親は④の雅縁の孫、⑥の雅康の兄にあたる。④は譲状と相伝系図からなり、譲状にみえる所職は地頭職で、相伝系図は武家吉良氏からの伝領を明示している。⑤は四紙二通、⑥は五紙三通で、所領にかかる記載が散見する。

本冊掲載史料は、単に室町期文芸史料というだけでなく、将軍足利氏を中心とした幕府のありようを文芸という側面から考察する素材であり、活用されることを期待する。

(カラー図版二頁、例言・目次二頁、図版二四六頁、解説三七頁、本体価格二五、〇〇〇円)
担当者 末柄豊・山家浩樹

『東京大学史料編纂所報』第44号 p.38-39