67.奄美博物館における史料調査

二○○六年一月二三日~二六日、石上は、鹿児島県名瀬市(現、奄美市)の名瀬市立奄美博物館(現、奄美市立奄美博物館)に出張し、名越左源太関係資料の調査・撮影を行った。本調査は、画像史料解析センターの研究プロジェクト「南島画像関係資料の研究」によるものである。撮影は、富士フィルムイメージテック株式会社に委託し、南西マイクロが実施した。撮影は、カラーマイクロで行い、デジタル画像を作成し、フィルム・画像データ一式を博物館に寄贈した。
名越左源太関係資料は、名越家に伝えられた、薩摩藩士名越左源太時行(時敏。一八一九~八一)の史料で、左源太の遠島期の奄美大島に関する画稿や筆録で『南島雑話』のもととなったもの(「南島雑記」の草稿の「雑記下書」も含む)、遠島日記、遠島中・帰国後の書状(父親への発信分、知人からの受信分)などからなる。左源太は、嘉永二年(一八四九)、藩主島津斉興の次に斉彬を擁立しようとした内訌(お由羅騒動)に坐し、嘉永三年から安政二年(一八五五)まで大島名瀬間切小宿(鹿児島県奄美市)に遠島となり、小宿の村人と親しく交わり、異国船来着に対する絵図作成にも参加した。『南島雑話』は、名越左源太の著述である「大嶹竊覧」「大嶹便覧」「大嶹漫筆」「南島雑記」と、「南島雑話」(一・二及び三の二冊)「南島雑話附録」の二類、六部七冊の総称である。「南島雑話附録」は、文政十二年(一八二九)、御薬園方見聞役として大島に派遣された伊藤助左衛門の著述を時行が転写したもので、「南島雑話」も、伊藤の著述をもとにしたもの、または伊藤の著述そのもの転写本と推定されている。「大嶹便覧」の稿本(鹿児島県立図書館所蔵)が残る。史料編纂所所蔵島津家本は明治時代に島津家に献上された浄書本で、同系本に永井家本(東洋文庫『南島雑話』の底本。奄美博物館所蔵)がある。草稿・稿本をもとに島津家本と別編成となすのが鹿児島大学本(『日本庶民生活史料集成』一「南島雑話」の底本)である。名越左源太関係史料には、左源太の著述した四本のもととなる画稿や記録が多数あり、『南島雑話』の成立を検討するための基礎資料となる。名越左源太関係資料の一覧は、石上「南島雑話とその周辺」(『画像史料解析センター通信』三○~三三号、続稿あり)に掲載の予定である。
なお、二○○五年二月二七日~三月一日、石上は鹿児島市に出張し、鹿児島県立図書館所蔵の「大嶋古図」及び「大嶹便覧」(名越左源太自筆稿本)を撮影した。撮影は、富士フィルムイメージテック株式会社に委託し、株式会社MIXが撮影を実施した。「大嶋古図」は、嘉永六年に薩摩藩の琉球守衛方により作成された奄美大島の詳細な海防図で、近年、その重要性が再評価されたものである。「大嶋古図」は大型地図なので、鹿児島県歴史資料センター黎明館の写場に搬入し、俯瞰撮影のための大型櫓を組み四五版カラーで撮影した。フィルムはデジタル接合し、原寸大焼付けを作成した。フィルム・デジタルデータ・プリントは鹿児島県立図書館に寄贈した。名越左源太は、この絵図作成事業に遠島の身ながら参加したことが、「大島代官記」に記録されている。元来、名越左源太関係資料と一具のものとして伝わった左源太の奄美大島の各集落等の地図の稿本は、『奄美大島諸家系譜集』に写真版が掲載されているが、近年は、公開されていない。現存「大嶋古図」と左源太の地図稿本との関係も、今後検討する必要がある。この「大嶋古図」については、「南島雑話とその周辺」一にも簡単に触れたが、詳細な紹介・検討は、追って「南島雑話とその周辺」において行う予定である。

(石上英一)

『東京大学史料編纂所報』第41号