42.東大寺図書館所蔵史料の調査及び東大寺文書の借用

二〇〇六年三月二七日から三〇日まで、奈良市東大寺図書館に出張し、同館所蔵の薬師院史料調査を行った。この調査は二〇〇二年度よりの継続である。同史料の概要については、本『所報』第四〇号の採訪記録を参照されたい。
薬師院史料の未整理分は、一六括にまとめられる。本年度までの調査で、第九括分と第一六括の二括を残すのみとなった。現在の括分類は、薬師院史料が東大寺図書館に入った一九五一年(昭和二六)以後のものである。一部の括では同一様式文書が集められているものの、ほとんどの括の内容は統一性がなく、どのような整理基準に基づくかは不明である。今回は、このうち、第一括から第八括について簡単に紹介する。
〔第一括〕点数二一点
 写ではある中世以前の内容を記すものとしては、近江国衙度縁写(延暦二年正月二〇日、紙背には、東大寺三綱解?写〔貞観五年九月一一日〕)、太政官牒写(大同二年五月二二日)、東大寺伝燈大法師等解状写(後欠、嘉承元年四月日)、手向山八幡宮神人等連署起請文写(応永二一年七月二九日)、天地院弁財天千手観音堂修理勧進状(文明八年三月日)、御舎利納直記録写(文明一七年・永正五年一〇月二八日)などがある。その他は、明暦三年の世親講・倶舎三十講の用途に関わる文書が若干あるものの、全体としての内容のまとまりはない。
〔第二括〕点数五一点
 中世以前の内容を記すものとしては、手掻会舞目録(年月日未詳、見返に某庄上納米算用注文〔年月日未詳〕)、田畠屋敷石高注文(文禄四年八月二四日)などがある。その他は、薬師院執行の配下にいた小綱の宝永年間の掟書、享保年間の法華会関連などがある。この括も内容のまとまりはない。享保十七年倶舎三十講会場絵図がある。
〔第三括〕点数六八点
 寛永から安政にかけての方広会関連、延宝元年の受戒会関連が比較的まとまってある。また嘉永二年今小路八百屋長助の借地関連など。手掻会七僧法会道場之指図がある
〔第四括〕点数五二括
 文化・文政の正法院敷地借用関連(正法院は薬師院の同族)、万延元年の一族養子に関するものなど。
〔第五括〕点数二五点
 中世の文書としては、惣寺条目写(文禄四年カ)がある。その他元禄七年の土地買得関連が若干のまとまりがあるのにとどまる。なお興味深いものとして、太政官牒写(大同二年六月二日)・聖武皇帝御綸旨写(天平勝宝元己丑正月十八日)・某院宣写(天平勝宝元年二月五日)の偽文書がある。
〔第六括〕点数一九点
 江戸初期のものとして、行泉房祐尊請状(元和八壬戌年三月二六日)、薬師院英祐申渡書下書(元和八壬戌年三月二六日)、薬師院英祐申渡書写(元和八壬戌年三月二六日)があるほかは、まとまりがない。
〔第七括〕点数一〇五点
 天明二年の浄土堂関連は、寺内「時衆」の存在を示すもの。念仏堂・法華堂関連も若干ある。文政・天保年間の幕府よりの触書の回状がまとまってある。薬師院執行が配下の公人に回したもの。寺内正法院・乾徳院の敷地関連(含む指図)など他に指図類として若草山西御茶屋跡松山周辺見分絵図写(寛文五年)・薬師院周辺指図・薬師院方日不見山絵図・善性院指図・法華会指図・倶舎三十講会場指図(正徳四年)がある。
〔第八括〕点数一二三点
 中世・江戸初期に関するものとしては、東大寺伝燈大法師等解案文写(嘉承元年四月日、薬師院文書第1部に別写)、申状抜書(鎌倉中後期の僧位官申請の申状三点の抜き書き)、東大寺衆徒等申状写(文保二年正月日)、薬師院執行職相承に付由来書付写(永享一一年三月三〇日)、正法院屋敷高に付届書写(慶長九年閏八月二九日)、当門跡御一献に付催状(慶長・元和頃三月)がある。その他に注目されるまとまりとしては、元禄年間東大寺八幡宮散銭取り分関連、文政年間薬師院親族離縁関連、江戸幕末期の公人宛回状、江戸後期の公人六堂職補任退役関連、各種屋敷指図、明治初期における薬師院一族の動向を示す記録類などがある。
 今回の調査では『大日本古文書東大寺文書之二十』編纂のための文書借用をあわせて行った。

(高島昌彦・伴瀬明美・及川 亘・西田友広・遠藤基郎)

『東京大学史料編纂所報』第41号