10.河村文庫所蔵史料の調査

二〇〇六年三月十四・十五の両日、名古屋市立鶴舞中央図書館において、同館特別集書のうちの河村文庫の調査を行った。河村文庫は尾張の国学者河村秀頴・秀根・益根の旧蔵書である。その全貌は大正十三年に森銑三が編集した『私立名古屋図書館別置図書目録 一』によって知ることができるが、同館は昭和二十年に空襲に遭って書庫を半焼し、河村文庫もタ行以降が失なわれてしまった。
東京大学総合図書館には河村家旧蔵の「薩戒記」が架蔵されている(G27.225)。これには各冊冒頭に「尾張河村復太郎秀根蔵」の蔵書印があり、また、第一冊と最終冊の末尾に「河邑益根」および「益根」の朱印がみえる。したがって秀根(一七二三~一七九二)・益根(一七五四~一八一九)父子の時代には河村家に所蔵されていたことは明らかだが、その後なんらかの事情で三条家に移ったようである。現在同書は全十五冊に製本されており、各冊冒頭に「三條之印」が捺してある。大正十三年四月七日付で三條実憲氏から総合図書館に寄贈されたものである。三條家では三~四冊を合冊しており、もとは五十二冊に分かれていたと考えられる。この冊数は「河邨秀根蔵書目録」にみえる「薩戒記 五十二本」という記載とも一致する。これらは吉見幸和書写の中之島図書館本と共通する構成になっており、秀根と幸和の師弟関係ないし尾張の国学者間の繋がりに由来する写本ということができよう。
今回、閲覧した書目は以下のとおりである。
河イー5 有職私記                       一冊
   (奥書)「幸和按此ノ書ノ説、信疑過半ニ、以壺井説ヲ宜考索、平田説多合此説欤、職忠自書欤、
          此一巻依 恭軒先生之許借而写之、
           寛延肆(辛未)十月十日      河村秀根」
河オー1 小右記                   目録とも三〇冊
   (第一冊「小右記 目録」奥書)
     「小右記共三十一本、以九條殿御本繕写校合畢、
        安永五年申六月十五日 河村秀頴
      寛政四年壬子七月、使政俊臨写、以継先厳遺意、 河村益根」
   (第十四冊奥書)「明和五年三月廿九日書写終、(以華山院本写之)」
   (第二十冊)「滋野井文庫」の蔵書印あり。
      ※「河邨秀根蔵書目録」には「小右記 寛政四年壬子 三十一本」とみえる。何らかの事情で一冊が失われたものか。 
河オー50 御ゆとののうへの日記                三冊
   (第一冊奥書)「此壹冊以滋野井大納言殿公澄公御本書写之、」
   (第二冊奥書)「天明七年丁未十月廿五日校合畢、 河村秀根」
   (第三冊奥書)「天明八年戊甲十一月廿二日校合畢、 葎庵河村秀根」
河カー3 江次第抄                       七冊
   (第一冊奥書)「安永四乙未十二月廿八日写之畢、  河村秀根」
   (第七冊奥書)「嘗聞、江次第抄者一條禅閤所註也、求得之凡七巻手模写之、按末一巻不類上文、恐非同書也、依謂其書體類令聞書則疑冬良公所筆乎、然又云、此一段依遅参不聞之、可謂無念也、然則禅閤所講門人所記者与亦足為職学之亀鏡、豈忽之乎、
安永五年丙申五月廿一日  河村秀根」
河カー76 兼実記                       一冊
河カー77 兼実記                       二冊
河カー78 兼実記                       一冊
河キー22 北山行幸記                     一冊
   (内題)「永享元年十月廿一日 行幸日記」
   (奥書)「明和六年丑正月廿三日  河村益根之写」
河キー23 吉御記                       九冊
河キー24 吉続記                       四冊
河キー1  玉海                       六一冊
河キー42 玉蘂                        一冊
河キー55 貴嶺問答                      一冊
   (奥書)「右一冊、借或人書写於加管見、末葉輩必可令一覧問答之旨、官家為一助而巳、
           延宝五年十二月日   特進藤隆員
       手自加末了、写本所々難見解之間、以数本重而可校合者也、
           宝永七年庚寅三月中旬写之、
           明和三丙戌初夏四日謄写畢、河村秀根」
河キー56 貴嶺問答                      一冊
河コー41 後愚昧記                      三冊
河コー43 後愚昧記                      一冊
河コー94 後鳥羽院宸記                    一冊
   (奥書)「寛政四年壬子三月二日、河村秀根拝写、」
河サー54  山槐記                      一冊
河サー55  山槐記                      一冊
   (奥書)「治承二年 安徳帝御産ノ記、令校合加点畢、 壺井義知
        右、享保十九寅年五月、於京都写之畢、」
河サー56 山槐記                       一冊
河サー57 山槐記                       一冊
河サー78 三條中山口伝                    二冊
河シー77 糸束記                       四冊
河シー4  七関白記                     二三冊
河シー155 駿牛絵詞                     一冊
河シー156 駿牛絵詞                     一冊
河シー174 職原鈔秘解                    四冊
   (第四冊奥書)「右四冊、壺井先生所註而称二十巻抄、以為家伝秘本、予入先生門之而預講習、廿巻共所拝借、不日繕写、以為家珍宝永伝子孫、努々勿出門外、可秘者也、
            享保十年九月  吉見左京亮幸和 在判
          右、職原二十巻抄者、依 恭軒吉見先生之許借自五月十三日至十月十六日臨写之、以為家宝者也、
            于時宝暦二壬申年十月、 河村秀根」
河スー3   水左記                      一冊

(本郷恵子)

『東京大学史料編纂所報』第41号