大日本史料第一編補遺(別冊四)

本冊には、醍醐天皇の延長七年(九二九)から朱雀天皇の承平四年(九三四)に至る補遺史料を収録した。補遺項目は二四〇件、新たに加えた条は六二条である。なお、大日本史料第一編補遺の編纂及び史料採録方針については、別冊一・二の刊行物紹介(『東京大学史料編纂所報』二七・三二)を参照されたい。
内容的にまとまった補遺史料としては、次のようなものがある。◇延長八年九月二九日の醍醐天皇崩御及び同一一月二一日の朱雀天皇即位に関して、それらにともなう前後の時期の関連記事を収録した。◇承平元年一一月二七日に、神護寺交替実録帳勘進の条を立て、「神護寺最略記」に収録されている神護寺交替実録帳の記述全体を掲載し(京都大学国史研究室所蔵の影写本による)、また神護寺承平実録帳の記述内容を伝える記事を「神護寺略記」、「高雄山神護寺規模殊勝之条々」(神護寺文書)などから採録した。◇承平二年八月五日条には、伊勢国飯野・多気両郡内の東寺領大国荘田について同寺による領掌を認めた同日の太政官符(高山寺所蔵東寺文書)を収めた。同条には、同官符に記述される坪付と一致する点の多い年未詳・大国荘坪付等注文(教王護国寺文書)をあわせて掲げた。また、いわゆる川合大国荘文書として、八月五日官符の請文としての内容を持つ同年一〇月二五日伊勢大神宮司解(東寺文書・旧甲号外)が存在する。同解は、後世に偽作されたものと推定されるが(勝山清次「東寺領伊勢国川合・大国庄とその文書」『日本の宗教と文化』所収)、関連する明法勘申などとともにここに収録した。◇承平二年一一月の大嘗祭に関して、その前後の時期の関連記事を収録した。◇金剛峰寺奥院廟塔修理供養について、本編は承平三年一一月二七日に条を立てるが、「金剛峰寺雑文」に収める願主安珍の願文によれば日付は一〇月二七日であり、同願文を補遺に収めるに当たり、条を改める措置をとった。◇承平四年三月の皇太后藤原穏子五十賀に関連する条(二六日・二八日)では、それらの内容を詳細に伝える「皇太后藤原穏子御賀記」「母后代々御賀記」(いずれも伏見宮本)の記事を収録した。◇仏事に関しては、このほか、延暦寺西塔浄土院長講会の開始(承平元年六月四日条)、竹生島縁起の成立(同一一月一五日条)等の条を立てた。◇補遺収録史料として前冊より継続する内容については、別冊三の刊行物紹介を参照(『東京大学史料編纂所報』三六)。
本冊から新たに収録した史料には、近年京都御所東山御文庫で発見された『新撰年中行事』二冊がある(勅封一四四―八―一・二、西本昌弘「東山御文庫所蔵の二冊本『年中行事』について―伝存していた藤原行成の『新撰年中行事』」史学雑誌一〇七―二)。また、補遺における技術的な問題として、本編既掲載史料に部分的な脱漏がある場合の処置を、本冊から若干変更した。部分的脱漏がある場合、従来は当該史料全体を差し替える措置をとったが、そのことによって相当の紙幅を要することがあった。そこで本冊では、そうした箇所について当該史料全体の差し替えはせず、部分的な補足にとどめた場合がある。この場合、既掲載史料と補遺に収録する部分とに一部重複が生じるため、このことについて文末に按文を付すこととした。
本冊の編纂作業は、石上・山口・稲田が原稿作成に当たり、刊行年度における作業は山口・稲田が担当し、全体にわたり非常勤職員・岡本由香が補助した。
(目次二四頁、目次追加七頁、本文三〇九頁、本体価格六、〇〇〇円)
担当者 山口英男・稲田奈津子・石上英一

『東京大学史料編纂所報』第41号 p.29