42 春日大社史料の調査・撮影

二〇〇四年九月十三~十六日の四日間、奈良市の春日大社に出張し、所蔵史料を調査・撮影した。調査は春日大社の御高配のもと、松村和歌子氏に御対応いただいた。ここに記して謝意を表したい。また、宮内庁書陵部の池和田有紀氏にも同期間に調査いただき、御教示を得た。『春日神社記録目録』(一九二九年、同社社務所)にもとづき、簡単な所見を記す。ここに掲げたものは全てマイクロフィルムにて撮影し、楽所補任・楽書についてはデジタルカメラでの撮影も試みた。法量は縦×横(単位はセンチメートル)。
[社記(書庫)]
(社一)春日神社記                   目録三頁
※一冊、袋綴、二四・〇×一六・九、本紙遊び紙共三四丁。
表紙「春日神社記 全」。寛文癸卯(三年)之春、従五位上中臣連富田氏延英・従五位上行隼人正中臣連今西氏祐舎序。朱方印あり(印文不詳)。目録あり。内題「春日神社記 〈中臣連延英/中臣連祐舎〉撰」。貼紙にて朱書あり。『張紙ハ博物館蔵本ニ依ル』。
(社三)春日神社記改正                目録三頁
※一冊、袋綴、二七・〇×一九・二、表紙共紙三二丁。表紙「春日神社記改正」。宝永元年十一月、正預正三位中臣連延英序文。同年十月、若宮神主従四位下行式部権少輔中臣連祐字跋。『神道大系 神社編十三 春日』に翻刻。
(社五)春日社御由緒ノ回答書                目録三頁
※一冊、袋綴、二七・〇×一九・二、全八丁。書出し「春日社御由緒之儀御尋ニ付奉申上候」、右下に「大東延樹控」。末尾「明和四年九月/若宮神主三位/正預三位/〈春日社〉神主三位/御奉行所」。
(社一四)吉御記抄出                   目録四頁
※一冊。二八・〇×二一・二、遊び紙共本紙五二丁。表紙「吉記 〈治承五年四月/五月 六月〉」。内題「吉御記抄出目録〈于時蔵人頭左中弁〉」、朱長方印「桜井家文庫」、朱方印「菅」あり。尾題「治承五年〈夏〉 御記」。
(社一六)南権預祐友朝臣之記抜書               目録四頁
※一冊、袋綴、二四・五×一七・二、全五二丁。表紙「従三位祐用卿之御筆/南権預祐友朝臣之記抜書」。承応二年、明暦二・四・年、万治三年、寛文二・四・五・七・八・九・十・十一・十二年、延宝二・四・五・六・七・九年、天和二・三・四年、貞享二・三・四年、元禄二・四・六・七・十七年の記事あり。虫損。
(社二〇甲)代々行幸御幸記                  目録四頁
※一冊、袋綴、二四・九×一八・〇。表紙共三二丁。表紙「代々行幸御幸記〈(朱)『千鳥家本標題/行幸之記 代々筆』〉/社務正預家大東」。永祚元年より弘安九年まで。本奥書「写本云、/于時正保四年〈丁亥〉七月下旬之比、虫払之次ヲ以テ/令修覆之所ニ今一帖見出之間、所々校合、文字/無之所書入之者也、/若宮神主中臣祐栄〈判〉」。千鳥家本の影写は「春日社行幸歴代記」[3012-57]で、その奥書は「于時正保四年〈丁亥〉七月下旬、諸記虫払之次/を以、令修覆者也、/若宮神主中臣祐栄(花押)」、「右加修覆処、類本見出之間、所々加書之畢、/正保四年〈丁亥〉七月下旬/若宮神主中臣祐栄(花押)」とある原本に相当するもので、(社二〇甲)の底本はおそらく、見出されたもう一冊の写本の方であろう。余白に朱筆で『昭和十年一月、以千鳥家本一校了、清風、/奥書云、(下略、上引と同じ)』とあるように、原本と対校しての朱注が本文中に確認できる。奥書「右一冊行幸御幸之記、年来マテ大望之処ニ、若/宮神主一家之外当社諸家之内、所持之人無之/間、今度祐之仁致懇望、片時之間仁書写之、/写本祐春朝臣筆跡之間、文字虫喰破損之間、/如本写之、先年 二条大殿前摂政左大臣康道公/此記録之儀被及 聞召、可献上覧旨度々尊命/之処ニ、故神主祐栄朝臣他家へ御相伝之義 神慮/尚々之由ニテ御譲不申上之段、御内諸太夫二三人当/地へ御下シ有テ、於若宮神主館書写之、其外此本一円/類本無之、尤祠官重宝、努々以不可叶他見者也、/寛文九年〈己酉〉七月七日/正五位下行信濃守大中臣朝臣師暢(花押)」。追記「明治廿八年八月寄附之、/造宮預中臣植栗連大東秀行三十代孫/春日神社祢宜/従八位中臣延慶(花押)」。末尾に「行幸御幸之記補遺」として二丁を後補、末尾「右辰市家所蔵春日造替年序篇中ヨリ之/シテ写ス、/昭和五年七月九日」。やや虫損。史料編纂所架蔵謄写本『春日社記録』六[2012-325-6]所収。なお(社二〇乙)は近代の謄写。
(社二四)春日社年中行事                  目録四頁
※一冊、袋綴、二九・〇×二二・五、表紙共四三丁。表紙「春日社年中行事」(習書あり)、内題「春日年中行事/富田家蔵」。「春日社年中行事」と「春日社法」。訓点および加筆訂正が多い。本奥書「右当社年中行事并社法先規/之次第等、依 仰所奉呈大概如斯矣、蓋於微細之事事跡者、千緒万端也、仍所載旧記摘其要而新撰之、謹以献焉、/延宝八年六月吉日」。『神道大系 神社編十三 春日』に「春日社年中行事」・「春日社法」として翻刻。
(社三二)社庫神器                   目録五頁
※一冊、袋綴、二五・〇×一七・〇、表紙共九丁。表紙「社庫神器 光美〓見」。目録。いわゆる神器よりも、近世に奉納された書跡・典籍類が多くあげられている。やや破損。
(社三三)神供備進記                      目録五頁
※一冊。二五・四×一七・九。本紙四一丁、後補表紙・裏表紙。表紙「神供備進記/辰市家」。年中神供の配置の指図集。末尾に元禄・享保期の記録。本奥書「享保七年八月日記之」、奥書「右、春日社例年神供備進記者、富田神宮預/延晴令撰緝間、予是備用而如本紙令書写焉、/于時 享保十年三月廿一日権預従四位下中臣祐実/二十七歳」。
(社四一)金龍殿其他ノ記録                   目録五頁
※一冊、袋綴、二四・五×一六・八、表紙共一四丁。表紙「天明五年〈丑〉五月吉日/東地井家」。天明五年六月、九条殿に対し、大東丹後守・同和泉守・東地井西市正の連名で金龍殿の再興を願い出た文書の草案など。
(社四二)金龍殿覚書                   目録五頁
※一冊、袋綴、二三・七×一六・七、表紙共二六丁。表紙「覚書/東地井西市正」、書出し「一、金龍殿之御祈祷所造立之儀、先年/より相願、…」。寄附に関することなど。覚を二種合綴。
(社四三)金龍殿古鏡之記               目録六頁
※一冊、袋綴、二六・〇×一八・七。表紙共四丁で末尾に一丁罫紙を付す。表紙「嘉永六年二月/金龍殿古鏡之記/富田光美」。東地井家相伝の神鏡・灯篭を富田光美が譲り受けた際の記録・証文。(社四一)(社四二)も同時に譲られたものと思しい。
(社四四)御弓矢御奉納次第                  目録六頁
※一冊、袋綴、二七・〇×一九・三、表紙共六丁。表紙「御弓矢御奉納之次第」。元禄六年五月五日、徳川綱吉母桂昌院より奉納の記録。
(社五〇)旧記勘例                    目録六頁
※一冊、袋綴、二三・八×一六・八、表紙共八三丁。表紙「権預祐長御筆跡也/旧記勘例/従四位上中臣祐智(花押)」。祐園記(永正八年)、祐父記(天正十四・十六・十七年)、祐範記(慶長二・三・五・六・七・八・九・十・十二・十三・十四・十五・十六・十七・十八・十九・廿年、元和二・三・四・五・六・七・八・九・十一年)の記事あり。虫損大。
(社五一)注進旧記之写                  目録六頁
※一冊、袋綴、二七・四×二〇・九、本紙一三丁、後補表紙・裏表紙。表紙「表紙無之依〓〓/中臣祐〓」、本紙書出し「注進旧記之写 若宮神主祐賢記」として、〔祐定記〕寛元四年三月三十日・四月一日条。「一、文永四年水屋河ヲ榎本前瀧江堀流始事/同祐賢」として、祐賢記・文永四年三月。刊本『春日社記録』二の一二頁以下の補写分と重なるものを含む。さらに「文永十年記/同祐賢記ニ」、「建治四年之記ニ」として短文を引く。奥書「右分、若宮神主家之同記之内、且撰出之、/墨付十四丁」。やや虫損。
(社五二)注進旧記之内                  目録六頁
※一冊、袋綴、二七・四×一九・三、表紙共一五丁。表紙「注進旧記之内」、書出し「注進旧記之内」。冒頭・末尾が多少異なるが、ほぼ(社五一)と同内容。やや虫損。
(社六一)神器ノ類紛失之記                  目録七頁
※一冊、二四・三×一六・五、表紙共五丁。表紙「神器之類紛失之記/(富田)光美」。「元禄七八年之比紛失」から慶応三年に至る記事。
(社六五)料足下行帳                   目録七頁
※一冊、袋綴、二六・〇×一六・八、表紙共二六丁。表紙「天文十九年〈庚戌〉十一月 日/料足下行帳/供目代清快〈春乗坊/持宝院〉 唐院」。到来・仕足・御神供下行・借銭返〓・祭礼方の各項につき記録。破損。
(社六六)年中下行帳                   目録七頁
※一冊、袋綴、二五・六×一八・五、表紙共一五丁。表紙「〈戊寅〉宝暦八年/年中下行帳/大東正預」、綴じの紙縒には印を押す。書出し「下行米之覚」、年間の諸下行の書上。
(社六七)年中諸下行之帳                目録七頁
※一冊、袋綴、二八・四×二二・五、表紙共一七丁。表紙「寛政七〈乙卯〉年六月書改/年中諸下行之帳/惣蔵」、綴じの紙縒には印を押す。二月から冬渡に至る年間の諸下行額ならびに相手の書上。
(社六八)当職諸下行記                 目録七頁
※一冊、袋綴、二〇・二×一二・八、表紙共一八丁。表紙「寛永八年〈辛未〉閏十月吉慶日/当職諸下行記/正預延通(花押)」、書出し「寛永八年〈辛未〉閏十月六日当番始」以下、寛永九年十月までの諸下行の記録。
(社六九)諸職転任領所収納並諸下行記             目録七頁
※一冊、袋綴、二五・一×一八・二、表紙共一四丁。表紙「諸職転任領所収納並諸下行記/権預従三位延栄」。諸職交替時における費用負担などのとりきめ。「右今度一社集会評掟之上、所相定也、/享保十九年十一月日/神主三位時資〈判〉/(以下、二六名の判あり)」、本奥書「右一冊之記、本書者各加連判/惣社之櫃ニ納置者也」、奥書「右之一冊、正預延晴以(ママ)写本写之者也、/宝暦二年正月吉日 権預従三位延栄」。
(社七〇)神主権神主新補与遺跡出納下行之記抜書     目録七頁
※一冊、袋綴、二六・〇×一七・九、表紙共五丁。表紙「神主権神主新補与遺跡出納下行之記抜書/正預延庸」、書出し「一、承応二年〈癸巳〉十一月廿一日、神主時久逝去、然者当職時重ヨリ/…」、奥書「右記、権神主時氏記也、時成卿ニ令借用書写了、/宝暦二〈申〉年三月十六日/正預延庸」。
(社七一)年中諸下行之控                  目録七頁
※一冊、袋綴、二五・〇×一七・四、表紙共八丁。表紙「天明四〈辰〉年十二月/年中諸下行之控/惣蔵」。
(社七二)冬渡米石高之事                 目録七頁
※一冊、袋綴、二四・〇×一六・六、表紙共五丁。表紙の右下に「下行」、書出し「冬渡/一、米百四石七斗五合八勺 雑仕下行」。近世の年間諸下行の書上。
(社一〇〇)若宮神主家記録勘例               目録九頁
※一冊、袋綴、二四・〇×一七・二、表紙共四二丁。表紙「若宮神主家記録勘例」。祐春記(永仁二年、清祓勘例、廻廊造替関係など、徳治二年・正安三年・嘉元三年・正応二年・応長二年、正和二年祭礼記)、祐臣記(正中三年、虹立勘例)、祐明記(建久八・九年)、祐賢記(弘安三・四年・文永二・四年・安貞二年、若宮祭礼記)、祐富記(応永廿三年)、祐紀記(元和五・十年・寛永十六年)、祐尚記(寛永十九年)、祐栄記(慶安二年)など。帳簿の反故を用いる。史料編纂所架蔵謄写本『春日社記録』四[2012-325-4]所収。
(社一一四)九条様献上之記                 目録十一頁
※一冊、袋綴、二四・二×一六・〇、表紙共一九丁。表紙「文政六〈未〉年四月□/文化五〈戊辰〉年正月吉日/九条様献上之記/新権預祐晴」。文化五年正月~十二月の記録に、文化八・九・十年の記事を追加。次(社一一五)と組になるか。
(社一一五)九条様方日記                 目録十一頁
※一冊、袋綴、二〇・三×一二・三、表紙共二六丁。表紙「文化三〈戌〉年十月吉日同十三年/九条様方日記/正四位下中臣連祐晴」。文化三年九月~十一月、同十二年正月~同十四年十二月の祈祷関係の記録・文書案。
[楽舞(宝庫)]
(書二一)楽所補任                  目録六十頁
※上下二巻。重要文化財。全紙とも宿紙を用いて裏打ちも厚いため、原本では裏書を確認できず、また近世に書写されて以降の欠損部もある。『群書類従』補任部の翻刻との相互参照が必要である。史料編纂所架蔵影写本[3086-3]あり(破損あり。裏書一部を含む)。図版は、『重要文化財』二三(毎日新聞社、一九七七年)、『国宝重要文化財大全』八(同前、一九九九年)、奈良国立博物館編『春日大社名宝展』(一九九五年)など。
(上)巻首欠。〔天永元年〕の「左近府生則近」より始まる。「同(天永)二年〈辛卯〉」の箇所に朱書『四』とあるので、もとは天仁元年が『一』となる(ほぼ鳥羽天皇より始まる)。末尾は「『五十』保元二年〈丁丑〉」の「内舎人元賢、忠光」までで断ち切られ、別紙を継ぎ、奥書「嘉禎二年〈丙申〉正月日書写之、/五十二年之間補任〈料紙三十五枚〉」。
(下)巻首欠。〔平治元年〕の「左近将監□□〔光時〕」より始まり(「『五十三』永暦元年〈庚辰〉」)、朱書は「『百三十三』仁治二年〈辛丑〉」で終る。同じ料紙に「同三年」(記事あり)、「寛元々年」(記事なし)、「同二年」(年次のみ)とあって、升目の引かれた料紙から縦罫のみの料紙(上巻奥書を記す別紙と同じ)に変わって寛元二年の記事が続き、同じ形式の料紙で弘長元年の記事に終る。正嘉二年までは墨書で「百四十八」とあり、翌正元元年までが第二次段階の追記、以降の二年分が最後の追記。
(書二二)楽書                     目録六十頁
※五巻。重要文化財。旧国宝指定名称「楽所補任附属楽書」。福島和夫「かすががくしょ」(『日本古典音楽文献解題』講談社、一九八七年)参照。図版は、『重要文化財』一八(毎日新聞社、一九七六年)、『国宝重要文化財大全』七(同前、一九九八年)、前出『春日大社名宝展』など。史料編纂所架蔵影写本[3086-2][3086-4・5]あり。
(1)舞楽古記(紙背、嘉元元・二年仮名暦)
(2)高麗曲(紙背文書)
(3)舞楽手記
(4)輪台詠唱歌外楽記
(5)楽記

(田島公・本郷和人・西田友広・藤原重雄)

『東京大学史料編纂所報』第40号