13 西尾市岩瀬文庫所蔵史料の調査

二〇〇五年一月・三月、西尾市岩瀬文庫に赴き、所蔵史料の調査を行った。主な調査史料は以下の通りである。
○(丑―八)下知草 一軸
 天文四~七年、柳原資定筆。縦二三・四糎。巻子。後補白地藍色文様表紙、外題「{資定一品}御下知草<御自筆>」。第一紙柳原紀光後補(間似合紙)、右上白文朱方印「柳原庫」、改装識語「御記/御墨付 廿五枚、/今度<紀光>加修覆為一巻了、/<元袋/本也、>堅以可禁外見者也、/明和九二十三 八座左大丞紀光(白文朱方印「藤原紀光」)。左の識語に見るとおり、袋綴冊子本を巻子に改装せるものなり。共紙原表紙、外題「下知草<天文四/同至天文五/同六年同七年>」。原表紙により推するに、袋綴冊子装時の法量は、横二〇・九糎なり。天文四年から同七年にかけて権中納言柳原資定が上卿として関与した宣下の符案。下内記部・下弁官部・下外記部に部類す。紙背文書あり。三条西公条勘返資定書状、柳原家雑掌申状土代、一牛斎紹鉄書状など。『永禄一位殿符案』は本書の転写本。
○(辰―七)革命革令年々 一軸
 永正元年ヵ、三条西実隆筆。縦二七・四糎。巻子。一時、約一九糎幅で折り畳まれ、折本として用いらる。端裏外題「革命革令年々」。巻首単郭朱方印「日野柳原秘府/継聚記之印」。伝領奥書「右一巻、逍遥院実隆公筆也、/有子細廷季卿より得之了、/均光」。延喜元年から永正元年に至る辛酉・甲子の改元について、外記局勘例・諸道勘文の目録および仗議公卿の散状などを載す。
○(辰―九)仗議記 一軸
 文亀四年、三条西実隆筆。縦二七・一糎。巻子。一時、約一九糎幅で折り畳まれ、折本として用いらる。端裏外題「辛酉仗議記<元応三>」。墨付七紙。初行「元応三年二月廿三日、丁卯、終日雨降、入夜」。書写奥書「此記康綱記歟、洞院文書内/電覧之間、於灯下馳筆、/比興々々、/文亀甲子二月五日(花押、三条西実隆)」。紙背、第七紙裏、康保度・万寿度・永保度・天養度の革命定・革令定の上卿を記す、最奥の切断線上に墨痕あり、もと更に書継がれしものと認む。第六~第一紙裏、首題「甲子事」、延喜四年から永享十三年に至る革令定の仗議における参仕公卿を記す。まま下端の文字が切断されており、甲子革令仗議公卿歴名の草稿を破棄し、仗議記の料紙に用いしものならん。
○(辰―一七)有職抄 一軸
 南北朝時代。縦二七・六糎。巻子。後補白地藍色文様表紙、貼題箋「有職抄僧侶筆」、題箋右上方墨書「脩」。第一紙柳原紀光後補、右上白文朱方印「柳原庫」、左上単郭朱方印「日野柳原秘府修竹記」、修補識語「有職抄 一巻/今度更加修覆、堅不可出/?外者也、/明和第九如月十四日/八座左大丞紀光」(白文朱方印「藤原紀光」)。もと袋綴冊子本を紀光が巻子に改装せしものなり。近世文書を以て裏打を施し、その書記面を本紙裏面に接着す。共紙原表紙、外題「有職抄」、左下墨書「東院」、左上「戸部書下」。同見返しに室町後期の興福寺東院院主兼継による伝領識語あり、「門室相承之秘本也、/不可有外見矣、/伝領兼円(花押)」。墨付三十九紙。相伝奥書「永和二年四月十六日、/自二位得業<尊雅>之本/相伝畢而已、/伝円守」。
○(四〇―ロ一二五)聖徳太子憲法十七箇条 一冊
 文亀二年、朗俊筆。縦一五・六糎、横二二・四糎。横帖袋綴冊子。柳原家後補渋引表紙、外題「{僧朗俊筆}聖徳太子憲法<十七/箇条>」。表紙見返し白文朱方印「柳原庫」。首題「聖徳太子憲法」、尾題「聖徳太子憲法<十七箇条>」。書写奥書「文亀二<壬/戌>三月十日/朗俊」。奥書余白に複郭朱方印「仁和寺/菩提院」。本文墨付三十四紙、ほかに共紙原裏表紙あり。第一丁のみ押界あり。界高一三・四糎、界幅二・二糎、縦界は二本目までしか引かざるも、以後も横界上にあたりのための針穴あり。本文は、「聖徳太子憲法(法印玄恵注)」(『聖徳太子全集』一〔龍吟社、一九四二年〕所収)に同じ。紙背文書あり。某元親書状、楽僧書状、女房奉書、連歌懐紙など。
○(一〇〇―四二)釈家官班記 一冊
 永正七年、東大寺西室公瑜筆。縦二六・八糎、横二一・六糎。袋綴冊子。渋引原表紙、外題「釈家官班記<付御修法/事等>」。遊紙一紙、墨付二七紙。首題「釈家官班記上」(二丁表)、「釈家官班記下」(一二丁オ)。本奥書「本云、/右僧中之故実、釈苑之明鏡也、借請祐済僧正、<公助僧正/筆也、>/余暇之次、於灯下馳筆、不可外見者也、/明応乙卯孟冬初五/亜三台拾遺郎二合(三条西実隆)」。書写奥書「永正七年<庚/午>五月中旬書写之、/公瑜(花押)」。
○(一三四―一五)名目鈔 一冊
 明応四年、松木宗綱筆。縦二五・二糎、横二一・二糎。袋綴冊子。茶染紙原表紙、右上墨書「修」、外題「秘抄<東山左府実煕公抄>」。墨付二三紙。首題「名目鈔」。本奥書「此抄東山左府<実煕/公>作也、以自筆之本/誂彼息勝南院法印<守誉>写留之、/可秘蔵者也、」。書写奥書「明応四年十月十三日、借請持明院/羽林<基春朝臣>本、卒馳筆畢、追可/清書、尤可秘之、/権大納言宗綱」。紙背文書あり。甘露寺元長書状、葉室光忠書状、忠富王書状、仮名消息など。
○(一四八―五)公武大体略記 一冊
 天文年間ヵ、理性院厳助筆ヵ。縦二四・一糎、横二一・二糎。袋綴冊子。新補渋引刷毛目表紙、外題なし。茶染紙原表紙、右上墨書「修」、外題「公武大体」。墨付二〇紙。首題「公武大体略記」。本奥書「右、数箇ノ条目、人ノ所望ニヨテ、筆ニ/任書付侍リ、元ヨリ愚慮ノ上、老耄/至極ノ間、定而参差ノ子細アルヘキ歟、可/恥之、/長禄二年三月十四日 空蔵<六十/四歳>書之、」。朱書奥書「於朱付者、筆者私加之了、」。紙背文書あり。四条隆重書状(理性院充)など。

(末柄 豊)

『東京大学史料編纂所報』第40号