大日本古文書「幕末外国関係文書之三十四」

本巻は、万延元年正月元日より同正月是月迄一ケ月間の文書(和文文書二四一、附録欧文文書二四)を収めた。安政から万延と年号が改っても、編纂方針は前巻のものを踏襲し(第一巻参照)、外国奉行書類を中心とした外国関係文書を収めている。
文書内容は、大きく次の五つに分れる。貿易・遣米使節・外人殺傷・蝦夷地・幕府機構、外国公館の内部問題。
本巻の基幹文書は、一八六〇年つまり開港二年目という時点から、依然として貿易関係である。そうして、これら文書から、幕府外交政策の形成過程、彼我の通商関係の整備されていく状況、又実施面において起るトラブルの頻発が知られる。貿易自由化・通貨交換に関する文書がとくに多い。外国側は、最大限の自由化、多種大量商品のよりスムーズな流通を希望するのに対して、幕府側はできる限りの制限貿易に力点をおく。これは彼我の支配・生産体制の相違からくるものである。通貨は一分銀交換に関するものが圧倒的で、外国側は、洋銀交換として厖大量の一分銀を望み、その要求の過大さ、鋳造能力の不足から、その対応に苦慮する幕府文書が主要なものである。これは彼我の金銀比価の相違から生じた、金貨獲得という不健全な目的に基くものであった。特異な問題として、荷駄馬輸出が挙げられる。これは、英仏の対清戦争による軍事目的に基くものであった。それ故、外国側は、短期間内の大量輸出を性急に要求するのに対し、幕府側は、彼らの真の目的をキャッチできず、この時期では、ただ要求の巨大さに周章狼狽している。
次の外交問題として、遣米使節が挙げられる。長年懸案の同使節は、万延元年正月十八日に品川を出帆する。勿論、本件関係史料のうち、主として関係者の日記は、遣米使節史料集成(日米修好通商百年記念行事運営会編)全七巻に収められているが、幕府の公文書等が編年順に収められたのは今回が最初ともいうべく、この意味からも、これらの文書は重要である。将軍より米大統領・国務卿宛の書翰をはじめ、使節乗船のポーハタン号に搭載する日用品の詳細な一覧表等、貴重かつ興味深い文書を多数収めている。
万延元年は、安政六年に引続き外人に対する暴行、傷害事件が起り、かえって増大の傾向が見られる。その代表例は、英国公使館雇い伝吉刺殺事件であった。外国側は幕府当局による犯人処罰の成果の全く挙らぬこと、及び警備体制の不備に対し激しい非難を浴びせた。これに対して、幕府は配下に召捕のための努力を指令すると共に、外国側に対し幕府役人による護衛を強く要請した。これがまた、外国側の反撃を受けた。彼らは役人の不正・非礼・不信を責め、改められねば、対策として、自国兵力による護衛等を提案、これは日本側の承諾できるところではなく、両者の間に対立が続き、この間の事情を示す史料が収められている。
外国関係文書は、外国との直接関係だけでなく、北方警備・蝦夷地開発等の広範な問題迄も含めているから、本巻にも、これに関する多数文書を収めている。その主なものは、蝦夷地引渡についてであり、従来幕府直轄地であった蝦夷地が東北六藩の領有・警衛するところとなった。この分割地域につき、仙台藩伊達家は経営・警衛上困難との理由から、領分割替を申出ている文書に、各藩の対応の一端が見られる。その他、蝦夷開発に関して、功労のあった箱館奉行所役人に対する褒賞の文書等を含んでいる。
最後に、幕府の対外政策機構、及び外国公館の内部問題を扱う文書を収めている。機構については、正月十五日の安藤信睦外国掛老中(外国側で言う外務大臣)任命文書をはじめ、外国奉行等中央の外務関係役人の任免文書、勤務条件の規定、改善に関するもの、給与関係の文書を収め、さらにこれらは、神奈川・箱館・長崎の三開港奉行所を含み、対外事務機構を制度的に究明したり、三港奉行所の機能と中央との関係を研究する上で、極めて有用な史料といえる。外国公館問題については、オールコックの公使就任をはじめとする任免問題の外、外部日本人との交渉、雇傭、器物借用等、各方面にわたる公館自体の問題の外、新年祝賀、購品、近火の際の謝礼等、儀礼に関するもの迄も含み、詳細な事実を知る上で有用と言える。
なお、仏・英・米国来翰等の欧文文書を収めているが、最近、史料編纂所に所蔵された日本関係海外史料マイクロフィルムとの対照が全面的に行えるようになり、より原文書へのアプローチが可能となったことはよろこばしい。
担当者、小西四郎・多田実・稲垣敏子。
(目次三五頁、本文四八一頁、附録四三頁)

『東京大学史料編纂所報』第4号 p.79**-80