大日本近世史料「細川家史料一」

旧肥後国熊本藩主の細川家は、織田信長の政権下に丹後国宮津を領し、やがて慶長五年徳川家康によって豊前国中津に封ぜられ、ついで寛永九年三代将軍家光の時代に、肥後国五十四万石の領主に転じた江戸時代屈指の有力大名である。細川家興隆の端緒をひらいたのは幽斎細川藤孝であるが、近世大名としての藩政の確立は、三斎忠興とその子忠利の時代に基本を確定したとみてよい。
この細川家に伝来する文書并に藩政の記録は、財団法人「永青文庫」(理事長細川護貞氏)の所有に属し、もと熊本市北岡の細川家邸内の倉庫に収蔵されていたが、現在は熊本大学附属図書館に寄託・保管されている。
細川家史料は、室町時代の細川氏関係古文書、織田信長・豊臣秀吉関係文書、細川幽斎の歌文・故実関係写本などをも含むが、総数約二万点と称される厖大な史料の大部分は、豊前入国以後の藩政史料である。その内容は藩政の各般にわたり極めて豊富であり、近世史・藩政史研究の好史料であるといえるが、他のこの種の大名史料と比較するとき
(1)忠興・忠利・光尚の初期三代の藩主父子の間で取交わされた書状類が、極めて多量に残存すること、
(2)元和末年にはじまり、寛永期からその量を増す日記、相談帳、奉書控、状文案控、万覚書などの藩庁記録が、原本のま伝存していること、
など、近世初期の史料が豊富なことは、細川家史料の大きな特色であるということができよう。
そこで本所では、右の細川家史料のうち、まず慶長五年より寛永九年にいたる豊前領国時代の史料を選んで、順次編纂刊行することを決定し、細川忠興の書状から刊行することとした。
細川家史料の第一冊にあたる本冊には、慶長五年以後元和七年にいたる忠興の書状三百廿六通を収載した。忠興の書状は、若干の例外を除き、そのほとんどが細川忠利に宛てたものである。内容としては、幕政・藩政のほか茶道・故実・文学・鷹狩などにも及び、また父から子に宛てたものであるだけに、その折々の心情が率直に披瀝されていることも多い。しかし全体としては、当時の政情の機微にふれるような内容、それも藩の内政に関する事項よりも、幕府中枢をめぐる人的関係に極めて細心の配慮を払っている点などが、特に目立っているといえよう。
なお編纂の体例に関しては、巻頭の例言倶述べてあるので、省略する。
本冊の担当は、伊東多三郎・村井益男・加藤秀幸で、田中健夫・山本武夫も逐次参加した。
(例言三頁、目次二六頁、本文四〇四頁、折込図版三葉)

『東京大学史料編纂所報』第4号 p.86*