39.大阪城天守閣所蔵文書の撮影

二〇〇四年三月一日~三日の三日間、大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城)に出張し、戦国・織豊期の文書約一六〇点をマイクロフィルムにて撮影した。
 同天守閣所蔵の文書については、一九七二~七五年にひと通りの撮影が行われている(写真帳「大阪城天守閣所蔵文書」、六一七一・六三/二二)。ただし、『大阪城天守閣所蔵資料目録(正・続)』と照合してみるとかなりの漏れがあり、また、その後同天守閣に入った文書も多数にのぼる。こうした状況を踏まえて、三〇年ぶりに再度訪問し、遺漏分・増加分を撮影することにしたものである。
 撮影した文書は次の通り(番号は前記『目録』のもの、三一六までは「正」、三八〇からは「続」)。なお、今回の訪問では遺漏分・増加分のすべてをカバーするには至らなかったので、次年度以降に重ねて訪問する必要がある。
 三 四 七 九 九三 九六 一二一 一四八(九三以下は「宇津木文書」)一五九~一六一 一六三 一六四 一八〇 一八二 一八四~一九五 一九七 一九八 二〇〇 二〇二 二〇八 二一〇~二一八(二〇八以下は「加藤文書」) 二二一 二三七 二三九~二四六 二四九~二五一 二九四 二九五 三〇四 三〇六 三〇七 三一三~三一六 三八〇~三九一(「戦国武将書状集」) 五七七~六〇一 六〇三~六一三(五七七以下は「阿川毛利文書」) 六三七~六四六 六四七~六八六(「山田文書」)        ※実際の撮影順序は必ずしも番号通りではない。
 撮影に際しては、北川央氏、宮本裕次氏をはじめとする学芸員の皆さんに、大変お世話になった。ここにあらためて感謝の意を表する。

                    (村井祐樹・黒嶋 敏・鴨川達夫)

『東京大学史料編纂所報』第39号