17.芦浦観音寺文書等の調査

二〇〇四年二月二六日から二八日まで滋賀県草津市に出張し、草津宿街道交流館において、『草津市史』編纂用に収集された史料の写真・目録を閲覧・調査した。専門員八杉淳氏はじめ館員各位のご配慮を得た。記して感謝する。
(1) 「芦浦観音寺文書」
 本文書は、豊臣政権期から江戸時代前期にかけて近江代官、船奉行を務めた歴代住職の手元に残された史料群である(『草津市文化財調査報告書53芦浦観音寺館跡総合調査報告書』草津市教育委員会、二〇〇三年一〇月参照)。
 史料編纂所による一九七二年の調査・撮影(架番号6171.61/102の写真帳「芦浦観音寺文書」十二冊)後に新出分があり、二〇〇五年度出版予定の『大日本史料』第十二編、元和八年年末雑載算用条に収載すべき帳簿等の存在が判ったので、現御住職のご理解を得、交流館で写真帳二五冊を閲覧し、概ね寛永十年代以前の史料を複写した(元和六年の帳簿三冊については、全体の紙数が膨大なため割愛し、大名・幕府役人等の書状類については、寛永以降のものも加えた)。
 今回採訪分の全体については、「芦浦観音寺文書目録」(『草津市史資料集6芦浦観音寺文書』同市教育委員会、一九九七年三月)の文書番号を記す。
 2、18、21、26、31、39、90、91、92、93、94、95、96、101、102、103、104、109、110、115、121、318、370、371、461、462、470、471、492、494。
 慶長以前と元和八年・九年の新規採訪分については、細目を次に記す。
(中略)
(2)草津市史編さん室作成文書仮目録の閲覧
 中世期から江戸時代前期にかけての文書を含む本所未採訪史料群が相当数存在することを確認した。当該地域や南近江の中世期から近世前期の史料の新規調査・採訪は、『大日本史料』各編の編纂を進める上で不可欠であり、今後の取り組みを期したい。
                    (山口和夫・及川 亘・村井祐樹)

『東京大学史料編纂所報』第39号