正倉院文書目録五塵芥

本冊は、正倉院文書の原本調査の成果を断簡ごとの目録として刊行する『正倉院文書目録』の第五冊で、五年前に刊行した『正倉院文書目録』四(続修別集)に続き、正倉院宝庫に伝存する正倉院古文書の塵芥古文書(塵芥)全三九巻三冊(附?燭文書)を収録した。
正倉院文書は、正集が天保年間に穂井田忠友により編成され、明治八年(一八七五)九月に東京に移送されて、続修・続修別集・続修後集が内務省の浅草文庫において編成された。明治一五年に正倉院宝庫に還送され、その時点でなお整理のついていなかった未修古文書は、明治二七年、宮内省正倉院御物整理掛によって続々修に編成された。明治八年の正倉院文書東京移送に際して、破損・腐朽の著しい文書は「塵芥(埃)」の櫃に収められて正倉院宝庫に残されたが、明治一〇年、明治天皇が京・大和等行幸の際にこれらを見学したことが契機となって、その保存がはかられることとなり、東京に移送されて整理・修補が行われた。この結果編成されたのが塵芥文書であり、やはり明治一五年に正倉院に還送された。なお、塵芥文書として編成される以前の状態を伝える写本に、内閣文庫所蔵の「東大寺塵埃文書」二巻及び「東大寺古文書写」八巻がある(西洋子『正倉院文書整理過程の研究』)。
塵芥文書は、補修成巻された巻子三九巻、断片となった紙片を貼り込んだ台紙(「雑張」と表記)を綴じた横帖三帖(雑張第一―三帖)からなり、湿気等による紙質の劣化のために巻かれた状態で固まってしまって開巻できない?燭文書と呼ばれる巻子二〇巻及び巻子断片三が附属している。
三九巻に補修成巻された文書は、もともとは十数巻の巻子であったとみられ、その内容は、写経司布施文案(天平九年)・写一切経経師等手実(天平十三年閏三月・四月、同五・六月、同七月、同冬季)・間写書料紙収納帳(天平十五年五月)・先写一切経経師等手実(天平十八年夏季、天平十九年秋季)・千部法花経充本帳(天平廿年正月十二日始)・東大寺盧舎那仏開眼供養供奉僧名帳(天平勝宝四年四月九日)・奉写大乗経律論目録(宝亀三年)・奉写小乗経律論本目録(宝亀三年)と平安期の東大寺綱封蔵出納関係文書などである。これらの一次文書には、下総国倉麻郡意布郷戸籍(養老五年)・造仏所作物帳(天平六年五月一日)・伊豫国正税出挙帳(天平八年)・出雲国大税賑給歴名帳(天平十一年)・経疏出納帳(天平二十年七月)・外嶋院来牒継文(天平勝宝六年、天平勝宝七歳)等が含まれている。また、写経生の試字に類した断簡、器物である漆柄香炉箱の?(うちばり)、弘仁十四年以降の常陸国戸籍断簡なども見える。第四・八・一一・二〇・三一・三二・三七・三八巻の八巻の巻末には、離脱紙片を貼り込んだ雑張が貼り継がれており(第一一巻は台紙三葉、他は台紙各一葉)、これらの紙片も上記諸文書の一部であったものであろう。なお、現状では塵芥文書と異なる扱いとなっているが、正倉院宝物の中に玻璃装と称される諸紙片があり、その中にも上記諸文書の一部をなす紙片が含まれている(飯田剛彦「玻璃装仮整理文書断片の調査」『正倉院紀要』二六、二〇〇四年)。
雑張第一―三帖(「雑帖一」等と表記)は、紙質劣化のために干割れ断片化した紙片を貼り込んだ台紙を横帖に編成したもので、その内容は、天平勝宝四年四月九日の東大寺盧舎那仏開眼供養供奉僧名帳と推定され、塵芥文書第二九巻と同僧名帳と同類をなす(杉本一樹『日本古代文書の研究』)。また、?燭文書のうち巻子二〇巻と巻子断片一も同僧名帳とみられる(残りの巻子断片二は、僧名帳と異なるもののようで内容不明)。
塵芥文書は、大半が破損の著しい状態の文書を整理・編成したものであり、このため断簡・紙片の内容や接続の様態の記述において、本冊では従前の冊とやや異なる方式をとった部分がある。以下、この点を中心に、本冊内容の特色について順に紹介していきたい。
本文の内容・構成は、本冊も従前の原則を引き継いでいる(例言及び既刊の所報に掲載した刊行物紹介参照)。ただし、塵芥文書の形態上の特質に応じて、記述の方式を若干改めたところがある。第一に、従前の冊では断簡の表・裏を見開きの右・左頁に配列し、表裏対照の便をはかる方式をとってきた。しかし本冊では、断簡の裏がすべて空の巻及び雑張の断簡については、裏の記述に見開きの左頁を当てる方式をとらず、断簡ごとに順次頁を改め追い込みで記述した。これは、全巻裏空の巻が塵芥文書に多数存在することから、これらについて裏の記述のための頁を省略することで紙幅の減少をはかったためである。それとともに、紙片を張り込んだ雑張の台紙について、表裏別に各紙片の内容を記述することは適切でなく、紙片別に表裏の内容を記述する必要が生じるための措置である。第二に、複数断簡にまたがる相互参照の記述等において、従前は各断簡すべてに同様の記述を付し、あるいは復原された文書・料紙を示す際にはそれを構成する全断簡を列挙して記述する原則であった。しかし、一文書・一料紙の復原に関わる断簡・紙片が多数に及ぶ塵芥文書においてこれを行うことは、かえって記述が煩雑となって文意がとりづらくなるうえに、紙幅増加を招く要素ともなる。この点から本冊では、ある箇所で記述した内容については、相互参照関係にある他の箇所に重複して記すことを省略した場合がある。例えば紙片と断簡の接続・配列関係は、本体となる断簡側に詳細を記述し、紙片側にはその断簡との関係を記すにとどめた場合がある。本冊の利用に際しては、相互参照関係の記述がある場合には、その対象となる相手先の記述をも順次参看されたい。
本文に続く「参考」には、「断簡模式図」「雑張紙片一覧」「復原模式図」を収めた。断簡模式図(全五〇図)は、雑張の台紙などに貼り込まれた紙片を番号によって同定するためのもので、台紙ごとに紙片の配置を模式的に示し、紙片番号を付した。ただし、微細な紙片や紙粉の類は掲載せず、また判読可能な文字のない紙片については紙片番号を付さずあるいは掲載を省略した場合がある。判読可能な文字のない紙片のみが貼り込まれた台紙は、断簡模式図の掲載を省略した。紙片番号を付与する作業は、調査の進展に応じて新番号を割り付け、あるいは番号を削除する方法を取ったため、欠番が生じ、数字が連続していない場合がある。紙片の中には二層ないし三層以上が重なり合っているものがあり、他の紙片の下層にある紙片で、その一部が表面に直接見えていれば紙片番号を付した。なお、各紙片の判別は、原本によっても容易に確定しがたい場合があり、以下に述べる紙片の内容やその判読・復原を含め、今後の検討に俟つところが多いであろう。
雑張紙片一覧は、断簡模式図に掲載した紙片のうち、文字の判読が可能なものについて、断簡(台紙)の別、紙片番号、断簡模式図中の位置、文字、法量、紙質を一覧表の形で掲げたものである。『大日本古文書』に収録されているものについては、その冊・頁・行を示し、後述する復原模式図(東大寺盧舎那仏開眼供養供奉僧名帳)を構成する紙片にはその旨を表記した。塵芥文書に含まれる膨大な数の紙片について、文字・法量・紙質等のデータを本文として記述することは紙幅の関係で困難であるうえ、通覧にも不便となることから、本冊では一覧形式でこれを示すこととしたものである。なお、法量は、本来の料紙の縦・横方向が形状等から判明する場合はそれにより、不明の場合は文字の方向の縦・横によって採寸した。数値は各紙片の縦・横の最大値(紙片に外接する矩形の縦・横)である。
復原模式図は、各断簡・紙片の文字及び配列の復原状況を模式的に示したものである。塵芥文書には破損・傷みの著しい箇所が多数あり、本来の料紙一紙が複数の断簡・紙片に分かれ、その形もS字状をなすなど不定形なものがしばしば見られる。これらの復原の記述においては、左右方向の接続・配列関係ばかりでなく、上下方向の関係を示す必要も生じる。しかし、多数の断簡・紙片がパズル状に組み合わさるような複雑な事例を文章のみで説明することは容易でなく、説明の補助手段として復原模式図を用いることとしたものである。復原模式図は一四図を収め、その内容は、下総国倉麻郡意布郷戸籍(表)、・間写書料紙収納帳(裏、以上一紙分)、千部法花経充本帳(二紙分)、東大寺盧舎那仏開眼供養供奉僧名帳(九紙分)、常陸国戸籍(一紙分)である。復原された東大寺盧舎那仏開眼供養供奉僧名帳のうち二紙分は、もと連続した二紙を構成し、第二九巻に収められる同僧名帳の第一紙の欠損部分とその右に連続する一紙に当たるもののようである。また、他の七紙分も相互に連続する七紙として復原され、同僧名帳のある巻の一部を構成するのであろう。すでに紹介されている菩提僧正及び道?律師の名を記した断簡(杉本前掲書参照)もこの七紙の中に含まれている。
この東大寺盧舎那仏開眼供養供奉僧名帳について付言すると、同僧名帳のうち塵芥文書第二九巻の内容は、すでに『大日本古文書』に釈文が収録されているが(二五ノ三七三―三八七)、それ以外は『大日本古文書』未収である。未収部分は正倉院文書のマイクロフィルムで見ることはできたが、料紙が褐色に変色しているため、写真から文字を判読することは難しい状態であった。したがって、正倉院文書の原本ないしは国立歴史民俗博物館が作製している正倉院文書複製による以外、内容を知ることはできなかったのであり、学界においても周知されていない史料といえよう。その意味で、本冊に掲載した雑張紙片一覧及び復原模式図によって、初めて広くその全容が報告されたこととなる。奈良時代中期における僧侶数百名の名が、ここに新たに知られるところとなったのである。また、同僧名帳の復原はいまだ完了したとはいえず、本冊編纂の過程において得られた知見は限られており、さらなる検討が課題である。むしろ雑張紙片への番号付与と紙片ごとの釈文の提示は、同僧名帳復原研究のための基礎環境を学界に提供する意味を持つのであり、今後の復原の進展に期待したい。
「参考」に続けて収めた「大日本古文書対照目録」は、従前の冊では『正倉院文書目録』既刊分の内容すべてを含めた内容を掲載していたが、本冊では塵芥文書に関わる内容に限って掲載した。対照目録の分量は、前冊においてすでに一六〇頁を越えており、紙幅の関係から既刊分全体の内容を本冊に収録することができなかった。既刊分については前冊の対照目録を参照されたい。
補遺には、本冊において接続関係を補訂した正集一⑪裏及び続修二①の二断簡を収めた。
本冊編纂の作業は、古代史料部門編年第一室が担当部室となり、正倉院文書プロジェクトグループ(石上・加藤・山口)を中心に厚谷・田島の協力を得て、一九九九年より本格的な作業を開始した。毎年秋の宮内庁正倉院事務所における原本調査の成果に基づいて原稿を作成し、併行して国立歴史民俗博物館において複製本及び写真版による補訂を随時行った。また、正倉院事務所の特段の配慮を得て、毎年一―二回(夏・冬)同事務所に出張し、同事務所保存課長杉本一樹氏・同調査室飯田剛彦氏と本所調査メンバーによる調査所見に関する検討会を実施した。上述した東大寺盧舎那仏開眼供養供奉僧名帳九紙分の復原は、この検討会による共同研究作業の成果である。国立歴史民俗博物館歴史研究部長・教授吉岡眞之氏及び同助教授仁藤敦史氏には、正倉院文書複製本及び写真版の閲覧についてご助力を得た。正倉院文書の研究情報及び調査成果の整理、原稿作成準備、校正、その他の編纂補助作業には、研究支援推進員西洋子及び非常勤職員岡本有香の協力を得た。
 正倉院文書の調査を許可され、本書の刊行に格段の配慮を賜った宮内庁及び同正倉院事務所に厚く謝意を表する。
(例言四頁、目次四頁、本文六七五頁、参考一六四頁、対象目録三七頁、補遺三頁、本体価格一八、〇〇〇円)
担当者 石上英一・加藤友康・山口英男・厚谷和雄・田島 公

『東京大学史料編纂所報』第39号 p.36-38