16.名古屋市博物館および同市秀吉清正記念館所蔵史料の調査・撮影

二〇〇三年三月四日から六日まで、名古屋市博物館および同市秀吉清正記
念館に出張し、それぞれ所蔵史料の調査・撮影を行なった。
一、名古屋市博物館
 木博物館所蔵史料のうち近世初頭までのものについては、一九八八(昭和
六十三)年にひと通り撮影されている (『所報』二三、一〇五頁)。しかし、
最近の目録(『名古屋市博物館所蔵品目録・第三分冊文献編(一九九八)』)
によれば、その後の受け入れ史料がかなりの量に達しており、このため再度
の出張を実施したものである。撮影した史料は次の通り(番号は前出『館蔵
品目錦』のもの、各文書の詳細については同目録を参照されたい)。
   501-66  深津家資料ⅠのうちNo.1~8            五点
※慶長年間の平岩親吉黒印状など
   507-5   石川家資料                   三点
   507-6   中川家資料                   九点
   512-6   足利義昭御内書
   513-7   豊臣秀吉朱印状
   513-8   豊臣秀吉朱印状
   515-11  木下秀吉書状
   515-12  木下秀吉書状
   516-43  羽柴禿長判物
   516-44  明智光秀書状
   516-45  織田信長黒印状
   516-46  里村紺巴書状
   516-47~55および527-37  久留米有馬家文啓       一〇点
   516-56  豊臣秀吉朱印状・越前国内知行方目録
   516-57  越前国内蔵入目録
   516-58  豊臣秀吉朱印状
   516-59  北政所黒印状
   522-1   徳川秀忠書状
   522-2   徳川秀忠書状
   522-6   伊奈忠次等年貢割付状
   523-36  伊達忠宗書状
   523-37  島津家久書状
   523-38  徳川光友書状
   523-39  伊達政宗書状
   523-40  徳川光友書状
   523-94  松平忠吉朱印状
   523-105  平岩親吉黒印状
 以上のほか、『館蔵品目録』以後の新収史料の中から、次の文書群を撮影
した。
   熱田浅井家資料                      三〇点
 この文書群については、『名古屋市博物館研究紀要』二二に、鳥居和之氏
による詳しい紹介記事がある。
二、名古屋市秀吉清正記念館
 本記念館は名古屋市博物館の分館で、以前は豊清二公顕彰館として知られ
ていたが、一九九一(平成三)年に現名称に改められた。旧名称時代の一九
七二(昭和四十七)年に、「兼松文書」その他若干の史料が撮影されている
が(『所報』七、四七頁)、それ以外は未着手のままであった。今回、『名古
屋市秀吉清正記念館館蔵品日録(二〇〇一)』 に従い、下記の史料を撮影し
た(頁数・番号は『館蔵品目録』のもの、詳細については同目録を参照されたい)。
  45頁  37    羽柴秀吉自筆書状 から
      50    豊臣秀吉朱印状写 まで
  46頁  53    慶長投陣立書 から
      65    徳川秀忠書状 まで
  48頁  74    豊国大明神神号
      76    蒲生家襲封文書写
  49頁  78    加藤清正判物
  50頁  98    日本地域図
  51頁  107    数断橋擬宝珠拓本
  54頁  131    豊臣秀吉朱印状
 このほか、以下の二点を閲覧した。
  48頁  75   豊臣秀吉関係文書写
  51頁  100   朝鮮国内裏并陣場之図
 前者については、所収文書のほとんどが既知のものであったため、全冊を
撮影する必要はないと判断し、未知の文書が含まれているかと思われる部分>
に限って撮影した。後者はきわめて大型の絵図で、マイクロでは対応しきれ
なかったため、今回は撮影を断念した。絵図そのものの史料的価値は高いと
思われるので、適当な機材を用いて、あらためで撮影することが望まれる。
 なお、名古屋市博物館では学芸員鳥居和之氏に、秀吉清正記念館では主査
井上善博氏に、それぞれ大変お世話になった。ここに記して感謝の意を表し
たい。

                              (村井祐樹・鴨川達夫)

『東京大学史料編纂所報』第38号