13.小浜市立図書館「酒井家文庫」の調査

二〇〇二年二月及び十月の二度にわたり、福井県小浜市の小浜市立図書館
に出張し、同館所蔵の「酒井家文庫」及び「組屋文書」などの調査・写真撮
影を行った。
一、酒井家文庫
小浜藩酒井家は、寛永十一年(一六三四)閏七月六日、幕府年寄であった
酒井忠勝が、武蔵川越から若狭一国及び敦賀を与えられて転封になったこと
によって成立する。当時、幕府年寄が江戸周辺の領地から離れることは異例
であったし、譜代大名に一国を与えることも異例であった。この人事に驚愕
した熊本藩主細川忠利は、次のように述べている(閏七月九日付榊原職直宛
細川忠利書状『大日本近世史料 珊川家史料一八』)。
   御譜代衆ニ国を被遣候事、初ニ而候、半年ハ江戸二詰、半年ハ国ニ居
  申様にと被仰出候、忝儀は無申計之由被申上候ヘ共、せかれの時より御
  傍に罷有、遠くニ罷成候而迷惑成由、御申保と承候、尤有様と存候事、
 当の酒井忠勝も、少年の頃から側に仕えてきただけに、一国を拝領したと
言って素直には喜べず、家光に対し、「遠くニ罷成侯て迷惑」と言上してい
る。しかし、忠勝が家光の側から遠ざけられたというものではなく、むしろ
年寄として勤めてきた忠勝への優遇策であった。
 忠勝は、同年八月十二日、浜松で新領地に行くことを許されて若狭小浜へ
入り、十一月には江戸に帰った。その後、当初の半年在国の方針は履行され
ず、常時江戸にあって家光を補佐した。領地の政治は国元の家老に任せ、江
戸からは頻繁に書状(酒井忠勝書下)で指示を与えている。
 酒井家文庫は、若狭小浜藩酒井家の家文書、藩政史料、及び近代の編纂史
料で構成される。内容の詳細は、小浜市教育委員会編纂の『酒井家文庫藩政
史科目録』によって公開されている。
 今回の調査においては、「酒井家文庫」に所蔵される徳川将軍家御内書、
領知朱印状及び領知目録、幕府老中連署奉書、朝廷から発給された女房奉書、
酒井忠勝書下、幕府への勤役関係史料、酒井家の家格に関する史料を中心に
写真撮影を行った。撮影は、まとまりごとに日録の順番に従って行ったので、
詳細目録は『酒井家文庫藩政史料日録』に譲り、ここでは本所写真帳(『若
狭小浜 酒井家史料』)の編成に従って撮影目録を掲げる。
 1 若狭小浜 酒井家史料
一 徳川家光御内書・同家綱御内書(明暦まで)
二 徳川家綱御内書(万治元年から)/江戸幕府老中連署奉書/朝鮮書簡/
琉球中山王書簡留
三 女房奉書、酒井忠勝神夢書付
四 酒井思利・忠勝・忠朝書状/酒井忠勝隠居時遺金銀覚(4-5-262)
/酒井忠勝隠居時御祝儀物帳(4-5-263)/空印様金銀御下知状
(4-5-278)/空印公御遺物書覚(4-5-280) /酒井忠朝
書状(4-5-356)
五 品々御勤記(2-4-105)/御代々所々御寄進之記(2-4-10
6)/明暦二年五月二十六日家綱公御成之紀一(2-4-107)/明>
暦二年五月二十六日家綱公御成之記二(2-4-108)
六 将畢家牛込亭御成御規武並御遺物覚書(2-4-109)/明暦二年五
月二十六日酒井讃岐牛込下屋敷御成候節覚書(2-4-110)/明暦
二年五月二十六月家綱公御成萬覚書(2-4-111)/明暦二年五月
二十六日酒井讃岐牛込下屋敷御成候節覚書並御供両々(2-4-110)
七 霊鑑秘録 上
八 霊鑑秘録 中
九 霊鑑秘録 下
 以上は、二〇〇二年二月撮影分である。なお、二代藩主洒井忠直の「御自
分日記」は、『酒井思直日記』として、別に写真帳を編成した。これについ
ては、本稿末尾に目録を掲げた。
一〇 徳川将軍家領知朱印状・同領知目録
一一 酒井忠勝書下
一二 酒井忠勝書下、 酒井恩隆・忠直・主膳書状
一三 空印様御書下写 慶長七年~寛永十二年
一四 空印様御書下写 寛永十三年~同十五年
一五 空印様御書下写 寛永十六年〜同二十年
一六 空印様御書下写 正保元年〜慶安元年
一七 空印様御書下写 慶安二年〜同四年
一八 空印様御書下写 承応元年〜万治二年
一九 空印様御書下写 (年歴不知一)
二〇 空印様御書下写 (年歴不知二)
二一 板倉周防守・松平若狭守・建部内匠頭‥小堀遠江守御書写(4-5-
341-9)/忠勝公御在国中日記手控写(4-5-341-11)
二二 空印様御代御役人御用状写(4-5-341-10)・空印棟御書下
写序并凡例
二三 空印様御書下旧記書抜(4-5-345)
二四 御家格取調廉書(5-11)/旧藩秘録(5-1-3)
二五 秘録 二(5-1-4)
二六 若藩秘録(19-44)
二七 明和八年二月郷村帳(2-2-82)
二八 南総戸録(2-2-84-1/2/3/4)
以上、二〇〇二年十月撮影分である。
 2 小浜藩主酒井思直日記
 酒井忠直は、小浜薄第二代藩主で、明暦二年(一六五六)五月二十六日就
封、天和二年(一六八二)七月二日に没した。幕府では、雁間詰となったが、
病弱であったため老中などの役職には就いていない。日記は、万治二年から
延宝六年まで昏き継がれている。「御自分日記」とはいいながら、自筆のも
のではないと思われるが、日常の藩主の生活を窺い知ることのできる日記で
ある。特に、その年、自ら読んだり、儒者や家臣に読ませたりした儒書や軍
記などが詳細に記述されており、藩主層の学問のあり方や教養の深さを知る
上で興味深い日記である。「酒井家文庫」には、第九代藩主酒井忠貫の『御
言行日記』なども所蔵されている。
以下、御自分日記(『小浜藩主酒井忠直日記」)の日録を掲げる。
酒井忠直日記  一  万治二年
酒井忠直日記  二  万治三年
酒井忠直日記  三  寛文元年
酒井忠直日記  四  寛文二年
酒井忠直日記  五  寛文三年
酒井忠直日記  六  寛文四年
酒井忠直日記  七  寛文五年
酒井忠直日記  八  寛文六年
酒井忠直日記  九  寛文七年
酒井思直日記 一〇  寛文八年
酒井忠直日記 一一  寛文九年
酒井忠直日記 一二  寛文十年
酒井忠直日記 一三  寛文十一年
酒井忠直日記 一四  寛文十二年
酒井忠直日記 一五  延宝元年
酒井忠直日記 一六  延宝二年
酒井忠直日記 一七  延宝三年
酒井忠直日記 一八  延宝四年
酒井忠直日記 一九  延宝六年
 3 組屋文書
 組屋文書は、近世小浜最大の豪商である組屋家の史料で、今回小浜市立図
書館の整理に基づいて幕末までの百二十六点を撮影した。残された史料の中
で、文禄以前のものに商業的な活動を知ることのできるものは皆無である。
一方、豊臣政権の朝鮮侵略以後、豊臣政権や大名からの文書によって、権力
の保護を受け廻船・貿易業者として発展したことがわかる。
 以下、撮影文書の目録を掲出する(抄出)。なお番号は小浜市立同書館の
整理番号である。
1、 天文二十二年十二月    名田庄田村長夫銭請取状
2、 永禄九年十二月      名田庄田村年貢米・銭請取状
3、 天正十三年閏八月三日   岸弥七郎等連署状
4、 (文禄元年)五月十八日  山中長俊書状
5、 文禄三年三月       大田村高指出
6、 慶長五年十月十九日    京極高次判物
7、 慶長六年六月七日     京極高次判物
8、 慶長六年六月七日     京極高次判物写
9、 慶長六年十一月二日    京極高次黒印状
10、慶長六年十一月二日    京極高次黒印状写
11、年未詳八月二十一日    京挺高次判物
12、慶長十一年正月二十四日  国中麹役座免許印判状
13、慶長十五年四月四日    京極忠高黒印状
14、慶長十六年八月十二日   京極忠高黒印状
15、慶長十六年八月十二日   京極忠高黒印状写
16、(年末詳)九月七日    京極高知所役免許判物
17、(年未詳)正月十八日   京極忠高黒印状
18、(年未詳)六月十八日   京極忠高黒印状
19、(年未詳)六月十人日   京極忠高黒印状写
20、(年未詳)十一月二日   京極忠高黒印状
21、(年未詳)十一月二日   京極忠高黒印状
22、(寛延元年)極月二十五日 京極忠高黒印状
23、(年未詳)極月十七日   京極忠高黒印状
24、(年未詳)三月廿日    浅野長吉書状写・同次吉書状写
25、慶長十一年九月二十八日  津川内記・安養寺長門守・山田大炊連署状写
26、慶長五年十月十九日    京極高次判物写
〔酒井家歴代判物 (27〜37)〕
27、寛文十一年七月二十五日  酒井忠直判物
28、貞享五年四月七日     酒井忠門判物
29、正徳二年八月十五日    酒井忠音判物
30、元文二年二月十五日    酒井忠存判物
31、寛保二年三月十一日    酒井忠用判物
32、宝暦九年正月十五日    酒井忠与判物
33、明和四年十月朔日     酒井忠貫判物
34、文化四年九月朔日     酒井忠連判物
35、文政十三年九月朔日    酒井忠順判物
36、天保九年四月朔日     酒井忠美判物
37、文久三年九月朔日     酒井忠氏判物
 以下抄出
39、(元和元年)五月八日   京極高知書状
43、(年未詳)九月六日    ほく消息
45、(年未詳)十一月二日   小少将消息
46、(年未詳)六月八日    前田利光判物
49、(年未詳)九月二十四日  秀典書状
75、(年未詳)二月五日    幕府老中等連署状
76、(年未詳)二月五日    幕府老中等連署状
77、(年未詳)六月十九日   幕府老中等連署状
78、寛永十一年        酒井忠勝小浜人部之次第覚書
79、(年月日未詳)      酒井忠勝小浜入部之次第覚書
91、慶長十四年十二月十九目  組屋宗門言上書
92、元和九年二月十四日    組屋宗円言上書
93、寛永二年正月二十二日   組屋宗円遺言書
96、(寛文十一年)十月十三目 忍斉遺言状
98、元和万年二月十日     市大夫寺米借用証文

                          (二〇〇二年二月 山本博文・小宮木代良・松澤克行)
                          (二〇〇二年一〇月 山本博文・村井祐樹・黒嶋 敏)

『東京大学史料編纂所報』第38号