日本関係海外史料 オランダ商館長日記 原文編之十

本冊は、オランダ商館長日記原文編之十(自正保三年九月 至正保四年九月 Original Texts Selection I, Volume X. October 28,1646-October 10,1647)として、商館長ウィレム・フルステーヘンWillem Verstegenの商館長在任中の公務日記を翻字翻刻したものである。日記の筆者フルステーヘンは、フリッシンゲンVlissingenの生まれで、一六二九年にオランダ東インド会社の職員として平戸に着き、一六三四年からは長崎に駐在した。彼の妻、リーフデ号で日本に来て長崎に在留していたメルヒオール・ファン・サントフォールトMelchior van Santvortの娘スザンナSusanna'、が日本人との混血であったことから、一六三九年に混血児とその母が退去を命じられた時、彼も日本を離れることになった。一六四〇年以降彼はバタフィアで勤務していたが、一六四六年八月二十八日、商館長として再び日本に到着した。彼はまた、一六三五年に総督に対して金銀島探検についての建策書Re-monstratieを提出したことでも知られている。このような経歴から、彼は、日本通を自認していたようで、彼の日記には、日本の言葉や歴史の話など、その知識を示す記載が随所に見られる。
 底本は、Japans Daghregister sedert 28 october 1646 tot 10 october 1647.という表題を持ち、オランダ国ハーグ市、オランダ国立中央文書館(かつてはAlgemeen Rijksarchief (ARA)と称されていたが、二〇〇二年に組織改変が行なわれ、現在の公式名称はNationaal Archiefとなっている。)所蔵、『日本商館文書』Archief Nederlandse Factorij Japan 第六〇号、旧番号KA一一六八七号である。翻刻に際しては本所所蔵マイクロフィルム複本(本所架蔵マイクロフィルム六九九八―一―四―七、同焼付本七五九八―二―七~八)に拠った。
 右の底本(〔A本〕)に対して、同文書館所蔵『オランダ東インド会社文書』(VOC)に含まれる次の異本により校合を行なった。
〔B本〕
Daghregister des Comptoirs Nangasackij sedert 28 october anno 1646 tot 10 october anno 1647. (VOC1165, KA1065 (OB: Jaar 1648. Boek II: KKK-3)) (本所マイクロフィルム六九九八―五―八―四二、同焼付本七五九八―六〇―五七~五八)
 この写本はバタフィアへ送られ、同地からさらに『東インドよりの到着文書集』Overgekomen Brieven en Papieren uyt Indieに収録され、オランダ本国へ送られた。A本とB本の間には、僅かな単語の脱漏や挿入、語順の相違、特に日本語の表記における綴字の相違が散見するほかは、決定的な相違は見られない。
 本冊は、一冊に連続して記載されているが、内容と記主により以下の三つの部分に分かれる。
(一)商館長フルステーヘンによる、前商館長レイニール・ファン・ツムの離任後の長崎商館における日記。(底本一―二六頁)
Journael ofte dagelijcxse aentekeninge gehouden ende gedaen bij Willem Verstegen, opperhooft wegens d'Compagnies ommeslagh ende verrichten alhier ter comptoire Nangasakij in Japan, aanvangende naar't vertrek van den E. Reynier van Tzum dato 28en october anno 1646. ([pp.1-26])
(二)フルステーヘンの参府中の長崎における留守日記。(二六―三五頁)
't Vervolgh des daghregisters ter comptoire gedurende d'absentie van den E. Willem Verstegen zijns opreys te hoof.([pp.26-35])
(三)フルステーヘンによる江戸参府中と長崎帰着後の日記。(三五―二一一頁)
't Vervolgh des daghregister geduerende d'op- en afreyse van den E. Willem Verstegen te hoof, ter begroetinge des ouden en jongen Keysers, mitsgaders de verdre vereyschende groote des rijcx etca., beginnende 3e december anno passado tot 21e martij, ende't vervolgh ter comptoir tot den [……] deses jaers anno 1647.([pp.35-211])
 一六四五年に当時の商館長オーフルトワーテルが商館員の増員と参府中何人かを出島に残すことを願い出て許され、この年からそれが実現したため、商館長不在中はいわゆる留守日記が残されることになったのである。
本冊記事の最大の特徴は、詳細を極める参府中の日記と、一六四七年七月末から九月(正保四年六月から八月)のポルトガル使節来航の一部始終に関する、オランダ側としての記録であろう。日本側はオランダ人には必ずしも正確な情報を逐一伝えていたわけではなく、日記の記載は事実そのものではないが、それ故にかえってオランダ人の解釈、長崎の風評などが見て取れる独自の記載を多く含むものとなっている。
なお、本冊の巻頭には口絵として、日記底本の第一頁、フルステーヘンの署名を含む同年に行なわれた決議、の二枚を白黒で掲載した。
本冊の本文の校訂に関しては、ワウテル・エリアス・ミルデ Wouter Elias Milde氏、イサベル・田中・ファン・ダーレン Isabel van Dalen氏から、序説・脚注の英文の校閲についてはレイニアー・H・ヘスリンク Reinier H. Hesselink 氏、トーマス・A・W・ネルソン Thomas A. W. Nelson氏から多大の協力を得た。編集・校正については、非常勤職員大橋明子氏も参加した。
(解説・例言一三頁、目次一頁、図版二、本文二二二頁、索引一九頁、本体価格六、九〇〇円)
担当者 松井洋子・松方冬子

『東京大学史料編纂所報』第38号 p.38*-39