大日本維新史料 類纂之部 井伊家史料二十三

本冊には、安政六年十一~十二月の内容を収録した。
 安政五年八月八日付けで水戸に下された勅諚を返上させる方策について、この時期も江戸の幕閣と京都の所司代のあいだで、引き続き検討と意見調整が続いている(四・五号)。一方、水戸藩主徳川慶篤は、勅諚返納となればこれに反対する自藩関係者が江戸に南上する恐れのあることを憂慮し、大老井伊直弼に書状を送っている(十六号)。
 当時将軍後見に任じられていた徳川慶頼の幕府内での位置が問題となる場面も散見される。たとえば、奏者番人事をめぐって、慶頼と、「天下の御政治を将軍より託されている」大老・老中の関係が問題とされている(二四号)。井伊直弼への褒賞を推進しようとする動きに対しては、慶頼と大老である直弼及び井伊家の位置関係が問題となっている(二〇号)。前巻に引き続き、焼失した江戸城の再建が大きな課題となっている。本冊では、江戸城普請をめぐる幕府内の動きを示す史料を「江戸城普請関係史料」、大名の上納金関係を「江戸城普請二付大名願書並届書」として、まとめて収録した。前者には、普請関係諸役・御用に関する検討や任免関係、建築資材の調達、入用計算などが含まれる。「探索関係史料」にも、普請に関わる諸役所の人物評定、任命状況の報告が含まれ、城普請組織編成の実態をうかがうことができる。
 そのほか、幕府内では、高齢の役人への褒賞の是非(六・九号)が検討され、病死者を表向き勤続としている例の指摘や、うかうかと老体に及んだ者まで褒賞するのはいかがかという意見が出されている。
 外交関係では、十一月二十四日の老中と米国弁理公使ハリスとの応接内容の想定問答の書付(一一九号)が存在し、また口達内容の検討に直弼が関わっていた(一二〇号)ことを伺うことができる。
 絹糸の高騰に伴い、西陣ほか諸国の機職などが困窮(一三二・一三七・一三八号)、禁裏・准后呉服方からは御召絹の値上げの願書がだされ(十七号)、呉服師後藤縫殿助からは、京表「糸道渡世の者」ならびに「諸染草取扱の者」の支配を許可してもらえば、交易による糸不足を防ぐ手だてを講じるとの願書(一二八号)が提出され、京都町奉行・納戸頭が検討している(一三九・一四〇号)。
 なお、安沢秀一氏は、「徳川期の○使用例―佐賀藩物成・銀遣方大目安の場合」(『日本歴史』六一四号、一九九九年)で、数字の漢字表記に0は存在しないと言う従来の通念に対して、佐賀藩では宝暦初年から使用されていることに注意を喚起された。一〇二号の京都の悪所の売り上げなどを報告した某届書には、漢数字表記にゼロを表す○記号が使用されていることを付記したい。
(目次一五頁、本文三四八頁、口絵図版一葉、本体価格一〇、五〇〇円)
担当者宮地正人・横山伊徳・杉本史子・箱石大

『東京大学史料編纂所報』第38号 p.31*