54.中国第一歴史档案館及び中国国家図書館所蔵の前近代日本関係史料の調査

二〇〇一年八月二〇日から三一日まで、黨武彦氏(当時、専修大学法学部助教授。現在、熊本大学教育学部助教授)、松澤(二六日まで)、浅見の一二名は、中華人民共和国北京市にある中国第一歴史档案館に赴き、二〇〇〇年度に引き続き、同館が所蔵する前近代日本関係史料の調査を行なった。中国国家図書館(北京図書館)においても併せて前近代日本関係史料の調査を行なったところ、「北堂文庫」という史料群を確認することができた。
一、中国第一歴史档案館
 中国第一歴史档案館は、調査時点では改装工事を行なっていた。前年度には目録室に設置されていた目録は、今年度には閲覧室前のスペースに全冊が置かれる措置が採られていた。しかも、前年度の開架目録は約三〇〇冊に過ぎなかったが、本年度は、一、〇〇〇冊以上もの目録が開架の扱いになっていた。
 『乾隆朝漢文録副奏摺日録』という別種の目録が新たに公開されたことを確認した。これは、題名の通り、乾隆年間の档案目録であり、全宗目録とは異なった分類であり、「地区」、「職官」、「分類」、「時間」、「責任者」の五種類の分類目録からなる。凡てワープロで印刷されたものであり、目録冊数は二六二冊になる。一九八五年以降、パソコンによる整理が開始され、二〇万余条が整理されているということである。この整理作業を指揮したのは、当時副館長であった秦国経氏である。これらの目録は、一九五〇年代以降に作成された全宗目録を参考にしていると考えられるが、档案の表題と日付が全宗目録とは必ずしも一致しないので、別個に作成されたものであろう。
 この調査では、漂流関係档案のマイクロフィルムからの焼き付けを受け付け可能な限り数多く依頼した。本年度は、朱批奏摺」の「外交類」における「中日関係」二五九-一~一六の乾隆年間の档案を複写した。『乾隆朝漢文録副奏摺地区検索目録』には、こうした漂流関係档案も見られる。福建省を始めとする沿海部の目録を網羅的に調査したが、昨年度に「全宗目録」を調査した以上のものは殆ど確認できなかった。また、漂流関係档案を除けば、前近代日本関係档案は断片的なものしか確認できない。
二、中国国家図書館(北京図書館)
 善本組整理室のカードには、約四〇〇点の日本語書籍が整理されていた。しかし、これらの書籍は、一九世紀末以降の刊本であり、特に調査を必要とするものではなかった。尚、今回の調査終了後、日本語書籍については、顧韓主編『中国国家図書館外文善本書目』(北京図書館出版社、二〇〇一年)によって示されていることを確認した。
 善本組整理室のカードボックスには「北堂書」という分類が二竿ある。天主教教会の北堂が寄付した図書のカードであるとのことであったが、寄付された時期は判然としない。これら二竿の内のひとつは、「北堂書装箱目録索引(按箱別順序排)」となっていた。これは四三七冊分の検索カードであり、1963.11.25.清点」と記されていた。もうひとつは「包」となっており、「1949」と記されていた。包みか箱にして四〇〇点余りが収録されているようであったが、あたかも乱数のような番号が打たれているだけであり、この出納は不可能とのことであった。
 この「北堂文庫」と呼ぶべき大型コレクションは、善本閲覧室において閲覧することになっていた。目録Mission Catholiqgue des Lazaristes a Pekin,Catalogue of the Pei-T'ang library,Lazarist Mission Press,Peking.1949,は、巻頭の解説が英文で記されており、合計四、一〇一点、五、〇〇〇巻余りの図書が掲載されていた。ここに収録された書籍の言語で最多のものは、ラテン語である。フランス系の修道会であるラザリスト会(遣使会)が所蔵していたことから、フランス語の書籍がそれに次ぎ、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ギリシャ語の順になる。内訳は、神学関係書籍が多いようであるが、自然科学関係書籍も布教における必要性からか数多く見受けられる。
 「北堂文庫」は、かつてはイエズス会(耶蘇会)の蔵書であったが、目録の印刷時には北堂の図書館においてラザリスト会が管理していたので、中国国家図書館の所蔵となったのは一九四九年の中華人民共和国成立以降のことになる。善本組の図書カードには、一九六三年に整理されたことが記されているので、この時までに中国国家図書館の所蔵となったのであろう。中国国家図書館にある「北堂文庫」の目録は、一九四九年に印刷された英文のものであるが、同年北京においてラザリスト会がフランス語版を出版している。但し、両者は解説の言語が異なるだけであって、内容に相違点は見られない。フランス語版目録は、一九六九年にパリで影印版が出版されている。一九一二四年、アンリ・ベルナール神父は、北堂図書館において調査を行ない、新発見のマヌエル・サー編『諸神学者の著作から抜粋した聴罪司祭のための倫理原則』とペドロ・チリーノ『イエズス会フィリピン布教史』をローマのイエズス会歴史研究所の研究紀要Archivum Historicum Societatis Iesuに紹介している。一九三六年、ヨハンエフウレス神父は北堂図書館において『サカラメンタ提要』等のキリシタン版を始めとする四点、計七冊の図書を撮影し、日本で初めて「北堂文庫」を紹介した。イエズス会出身の日本司教ルイス・セルケイラの『サカラメンタ提要』は、複数の所蔵機関に確認できるが、日本語の「附録」があるのは「北堂文庫」所蔵のものだけである。「北堂文庫」が中国国家図書館に移管された後に確認したことを報告しているのは、一九六七年のJ.S.カミンズ教授だけである。その後、中国国家図書館は中南海から現在の位置に移転しているので、移転後に「北堂文庫」を確認したのは、今回の調査が最初であろうと思われる。
 ラウレス神父は、明末には北堂に約三、〇〇〇冊の洋書が所蔵されていたとする。現在の「北堂文庫」には、日本から伝わった書籍が含まれている。日本において印刷されたキリシタン版のみならず、日本において製本されたと推測される書籍が確認できる。こうした書籍は、長崎からマカオを経由して北京に伝えられたものと考えられる。

                         (浅見雅一・松澤克行)

『東京大学史料編纂所報』第37号