大日本史料第十二編之五十六

本冊には、元和八年(一六二二)年末雑載のうち、信仰・土俗の条および貿易の条を収めた。
 信仰・土俗の条では、まず寺社参詣、祈祷、服忌、宮座等に関する史料を採録した。
 キリシタン関係史料としては一九点を収録した。そのうち2点は大願宗の取り締まりに関わってキリスト教も同然と見なされた結果惹き起こされた佐竹領内における迫害報告書である。一点は、ローマのイエズス会文書館所蔵のポルトガル語原文史料で、日本から送付された史料に基づいてマカオで作成された「一六二二年度日本年報」(第一便)である。もう一点は、マカオから送付された原文の報告書をローマにおいて再編集しイタリア語に翻訳したのち印刷したものである。これらの二史料からは、大願宗の輪郭が明らかとなると共に、久保田におけるキリシタン迫害の経緯と実態が知られる。出羽における迫害に関連して、佐竹義宣の妻妾西ノ丸殿のキリスト教への改宗に関する記事を同じ「一六二二年度日本年報」の原文によって提供している。また、一六二二(元和八)年の日本の政治状況、キリスト教界及びイエズス会の会員の概況を知りうる記事をも同「日本年報」から採っている。
 ポントス(覚書)は「イエズス会日本年報」作成のための基礎資料となるものであるが、東北地方のキリスト教布教についてのポントスを一点収めた。これは特に会津蒲生藩のキリシタンの動向について報告したものであり、出羽のキリシタンについても言及されている。
 ローマのカサナテンセ図書館所蔵のドミニコ会関係史料は、長崎と大村のキリシタンの信心会(コンフラリア)についてのもので、「ロザリオ組中連判書付」と通称され、日本語を含む史料はすでに松田毅一著『近世初期日本関係南蛮史料の研究』(一九六七年、風間書房)に収録されているが、本書にはこれまで未紹介のラテン語文とその翻訳文を加え、完全な形で収めた。『ディエゴ・コリャード著日本教会史補遺』からは、この信心会に関連する記事を採録した。
 キリシタンの個人消息については、徳川家康の元茶匠の改宗(上記「日本年報」)、平戸松浦家内におけるキリシタンの存在(「リチャード・コックスの日記」)、元和八年死没の大村領のキリシタン富永二介妻の墓碑史料と富永二介関連の史料三点を収めた。
 殉教関係史料としては五点を収録した。元和大殉教における殉教者の一人フランシスコ会士ビセンテ・デ・サン・ホセ・ラメロスの伝記史料「バルタサール・メディナ著メキシコのサン・ディエゴ管区要録」は、現在確認されるかぎりでは孤本である。「ダニエロ・バルトリ著日本イエズス会史」からは、元和八年九月二十八日に島原で殉教したイエズス会員ピエトロ・パオロ・ナヴァルロの伝記を採録した。平山常陳事件における宣教師二名の救出に関わって拘禁・処刑されたルイス弥吉ら九名の殉教報告の記事を前記「コリャード著日本教会史補遺」と、「ヨセフ・シカルド著日本キリスト教界と迫害」とから採った。シカルドの著書からは、元和大殉教(八月五日)から九月二十八日に至る殉教とその関連記事も採録している。ドミニコ会宣教師達と同会日本人修道士の殉教報告とその略伝は、「ディエゴ・アドゥアルテ著ドミニコ会フィリピン日本シナ管区歴史」から採られている。
 同年日本からマカオに送られた匿名のイエズス会上長の書翰一通をも収めた。同書翰では、日本宣教に従事する会員の日本語学習継続、同管区在籍宣教師の他管区への異動規制及び日本管区の財源の他管区への流用規制について言及され、日本管区が当面していた問題が浮き彫りにされて興味深い。
 貿易の条には、元和八年(グレゴリオ暦一六二二年二月十一日より一六二三年一月三十日)の日付を持つ日蘭貿易に関するオランダ語史料のうち二七点を収載した。いずれも原本はオランダ国立中央文書館に所蔵される文書で、「日本商館文書」及び「オランダ東インド会社文書」に含まれている。(原文末尾に、これらの文書群のうち現在までに同年にかかる日本関係記事を含むことを確認した文書の一覧を附載した。)収載史料の配列は年月日順とした。
収載史料は本所所蔵マイクロフィルムより翻刻し、異本が存在するものについては異本校訂を行なった。コールハース、コーレンブランデル校訂『ヤン・ピーテルス・クーン、東インド在任中の書翰集』ハーグ、一九一九‐一九五三年(Colenbrander, H.T. & Coolhaas, W.Ph. eds., Jan Pietersz. Coen:Bescheiden omtrent zjin bedrijf in Indie, s-Gravenhage, 1919-1953) に翻刻が収載されているものについては、同書による校訂も行なった。
文書の形式、受発信者としては、バタフィアの東インド総督ヤン・ピーテルス・クーンならびに評議会の決議、総督ならびに評議会より本国重役会への報告書翰、同年中国沿岸へ派遣された艦隊の司令官ライエルス宛の総督よりの訓令書及び書翰、総督及び商務を統括する事務総長より平戸の日本商館長レナルト・カムプス宛書翰、カムプスの報告書及び事務総長宛書翰、平戸商館決議、事務総長よりシャム商館長ヤン・ミバイセ宛書翰、総督より蘭英防衛艦隊司令官ヤンセン宛書翰、総督より平戸のヤン・ヨーステン宛書翰等がある。
 主たる内容としては、前年の「日本人並ニ武器輸出禁令(元和七年七月二十七日ノ条)」への対応、前年シャムに置き残された商品の移送を始めとする日本市場への商品供給及び日本よりの帰り荷についての指示と、それに対する日本商館側の返答など、平戸商館の日本貿易に関わる具体的な記述が豊富である。
バタフィアの東インド政庁では、この年の初めに、中国貿易獲得のため一艦隊を中国沿岸へ派遣することを決定しており、同艦隊の情報、対中国・対日本貿易の方針、艦隊の補給における日本の役割等についても多くの記述がなされている。
また、一六二二年の八月まで続いた蘭英共同の防衛艦隊の動向、イギリス人の平戸退去の情報等も含まれている。
そして前商館長スペックスの書類・勘定提出遅延に関する処置の一件書類は、一件の内容自体とともに、スペックス在任中の書類目録を含み興味深い。
 収載オランダ語史料の翻刻、校訂、翻訳に際しては、レイニアー・H・へスリンク博士、イサベル・田中・ファン・ダーレン氏、シンシア・フィアレイ氏より多くの助言と協力を得た。また、商品名・帳簿組織等に関しては、本所非常勤職員行武和博氏より専門的知識の提供を受けた。
 (目次一頁、本文四〇六頁、欧文目次六頁、欧文本文二〇四頁、本体価格七、八〇〇円)
担当者  宮崎勝美・山口和夫・及川亘・五野井隆史・浅見雅一・松井洋子・松方冬子・大橋明子

『東京大学史料編纂所報』第37号