花押かがみ五 南北朝時代 一

『花押かがみ』は、各時代の主要な人物の花押を、原則として、原本より原寸大に影印し、死歿年月日順に配列するものである。本文は二段組とし、各段上部には人名とその通し番号、及び原寸大花押の影印を、各段下部には依拠した文書・典籍名や所蔵者名などの説明文を、それぞれ配している。各人について称号・本名・法名等、世系、極官極位、出家及び死歿年月日、年齢などの略伝を付記している。
平安時代、鎌倉時代一~三の刊行に続き、その第五冊目にあたる本冊は、南北朝時代一として、建武元年(一三三四)から貞和三年 正平二年(一三四七)までの主要人物の花押を収載した。編纂の体例は既刊第一冊と同様であり、収載する花押は、その人物の花押を代表する形のものを選び、その形に変化のある場合や、互いに参照して運筆の順をうかがうことのできる場合は、必要に応じて複数の花押を掲げ、厳密に花押と呼ばれるもののほか、自署、草名も適宜採択している。
次に、本冊に収載した人物のおおよその採録基準について触れておく。
死歿年月日がわかる人物の花押については原則的に採録する。公家の花押については、徐々に減少する傾向にあることから可能な限り採録し、特に南朝年号の文書に据えられた花押については、史料の少ない南朝関係史料を補う意味で多く採録した。一方、武家については、室町幕府・鎌倉府などの主要役職就任者のほか、諸国守護・守護代クラスを目途とした。前代からの阿曽治時、規矩高政、三浦時明なども収めた。釈家については、旧来からの伝統的な大寺院においては、東寺長者教寛、仁和寺相応院住持実性、金剛峯寺検校隆覚、東寺凡僧別当兼什、興福寺別当範憲、石山寺座主益守、東寺長者道我、法隆寺別当能寛など、長者・座主・別当・院家などのクラスに限り、前代に興った新しい仏教運動、いわゆる「鎌倉新仏教」に属する僧侶の場合は、南禅寺住持絶崖宗卓、大徳寺開山宗峰妙超、称名寺住持釼阿、妙顕寺開山日像、清浄華院住持向阿証賢、丹波安国寺開山天庵妙受、東福寺住持虎関師錬など、主要寺院の歴代住持クラスとした。女性の花押の伝来は少なく、実名の判明するものも少ないので、わかる限り採録するように努めた。後宇多天皇・後醍醐天皇官女洞院実子、足利尊氏・直義母上杉清子などである。
更に、その人物の花押を採択するに際し、代表する形を選んだほかに、基準とした点はおおむね以下の通りである。
例えば実名が明記しているなど署判そのものにより人名が特定できるもの、同一人物の多様な形態を反映するもの、変化の推移がわかる場合は変化の最初と最後を示すもの、同一人物で官途が変化するもの、などである。特に草名、自署については従来にも増して積極的に収載するように努めた。
さて、本冊に特徴的な人物の花押は以下の通りである。
雑訴決断所寄人は、建武政権崩壊後も明法官人などとして活動を続けていることは諸記録によって知られるが、残念ながら、その歿年月日や出家の日付が明らかな者は少なく、花押も残るところが少ない。したがって、歿年月日未詳の場合は最後の花押のある年月日にかけるとする体例により、本冊に収載した寄人が多い。また、着到状や軍忠状の証判については、これを合理的に人名比定できる根拠に乏しく多く某とせざるを得なかったが、多く収載するように努めた。その他、南北朝初期を彩った護良親王、楠木正成、千種忠顕、名和長年、北畠顕家、新田義貞、塩冶高貞、結城宗広、後醍醐天皇など、また、この時代の国制を特徴付ける諸国宣の袖判、諸国目代や奥州管領府奉行人などの花押を収めた。
なお、索引・正誤表を第八冊(南北朝時代四)の冊尾に付す予定である。
本冊の主たる担当者は下記に示したが、フィルムを貸与された広島大学大学院教授岸田裕之氏、本所非常勤職員渡邊江美子氏以下多くの方々から協力を得た。その旨を明記して、厚く感謝の意を表する。
(例言二頁、目次二頁、本文二八一頁、本体価格五、八〇〇円)
担当者 林譲・川本慎自

『東京大学史料編纂所報』第37号