大日本史料第九編之二十二

本冊は後柏原天皇大永三年雑載のうち、仏寺条に関わる史料を収録した。史料は、開創・再興、叙任・補任、伝授、法会供養、寄進預置、勧進、造営修理、集会評定、参詣、往来贈答、問答、雑、という形で分類し配列したが、一冊すべてが仏寺条であることから、検索の便をはかるため、こうした分類項目とその頁を目次に列記した。
 収載史料の過半を占めるのは、興福寺別当経尋の日記「経尋記」の記事であり、その中心となるのは、十二大会をはじめとする興福寺内のさまざまな法会である。ただし、経尋自身が参加し、内容について記録したのは、正月の心経会、十月の三蔵会・大供分配、および経尋の興福寺別当就任に伴う印鎰渡の際に延引され、本年十二月に行われた西金堂着座にとどまる。他の法会については、関係する負担・所職をめぐる争いや、廻請発給の記事が多くを占めている。
 また本能寺日曦と本隆寺日真の問答にかかわる史料を収めたことも本冊の特徴である。この問答の経緯と内容については、本能寺所蔵の「曦真問答」(寛政十二年写)に詳しく記されているが、本冊では「曦真問答」の記事のうち大永三年分、すなわち問答のきっかけをなした小袖屋宿所での法論のさまを記した部分と、三月から閏三月にかけてなされた日曦と日真の三問三答の書状を収録した。
 法論の争点は、妙法蓮華経従地湧出品の冒頭にある護持此経の文が、本門の内か迹門の内かということであり、これを本門の内とする本能寺に対して、本隆寺の日真が、この文は迹門の内であると主張したことから論争が始まった。そして京都の小袖屋宿所において、両寺の僧と信徒が数人集まって議論し、そのあと本能寺日曦の一問書状が日真のもとに届けられ、これから日曦と日真の三問三答がなされることとなった。小袖屋宿所における議論のさまを記した部分は、その場に参加した本隆寺の信徒が詳細に書き上げたもので、当時の法論のありさまが具体的にわかる。問答の部分とあわせて、当時の京都およびその周辺における日蓮宗の状況と信徒の活動の一端を伝える貴重な史料である。本冊への収録にあたっては、本能寺に出張して原本を閲覧させていただき、また身延山大学助教授(本所非常勤講師)寺尾英智氏のご教示とご協力を得た。
 このほかの収載史料は多様であるが、編纂に先立って地方自治体史などに載録されている関連史料の検出を行った結果、予想以上に収録すべき史料が増え、仏寺条のみで一冊を構成することとなった。寺院の開創にかかわる記事や、各地に残された五輪塔・板碑や経筒の銘などが、大永三年の一年分だけでも意外に多く存在することがわかる。
(目次二頁、本文四〇七頁)
担当者 山田邦明・渡邉正男

『東京大学史料編纂所報』第35号 p.24