大日本維新史料 類纂之部 井伊家史料二十一

本冊には、安政六年九月の関係史料を収めた。
 八月二十七日の前水戸藩主徳川齊昭以下の処分(前冊に収録)後の水戸藩の動静が、この時期の焦点のひとつになっている。「国許永蟄居」に命じられた齊昭の帰国の様子や街道の状況を、関東取締出役や徒目付・小人目付らに詳細に報告させている。また、江戸の水戸藩邸の様子については、高松藩が、連日複数回横目・徒目付・押之者を巡回させており、幕府も徒目付らに探索させている。また、守山藩主松平頼誠から高松藩主松平頼胤へあてた水戸藩主徳川慶篤の様子を報じた書状写(八号)や徳川慶篤御用向取扱に任じられた若年寄安藤信睦から大老井伊直弼に水戸藩邸入邸時の様子を報じた書状(四二号)がある。九月晦日には、水戸藩城附から、南上していた士民がすべて退去したとの届書が出されている(五二号)。
 安政五年八月八日に水戸藩に下された「勅諚」に関しては、朝廷より返上の沙汰を出すよう、彦根藩士長野義言より、三浦吉信を通じ、京都所司代酒井忠義に働きかけがなされている(九月十六日、二一号)。また、三浦から長野に、関東・水戸への「勅諚」返上とした安政六年二月六日の叡慮書取についての老中間部詮勝の指示が理解しがたいとして、新たな書取を要請するか、あるいは書き換えを要請するか、問い合わせている(四〇号)。一方、水戸藩主徳川慶篤からは、幕府から表向き返上の沙汰を出すことは、自分の慎解除・登城までは猶予してほしいとの希望が伝えられている(三五号)。
 幕府の処分は幕府役人にまで及んでいるが、このうち、九月十日に若年寄宅で申し渡された、駿府町奉行鵜殿長鋭・精姫様御用並黒川雅敬・書物奉行平山敬忠・小十人組平岡方中宛の、直弼筆の申し渡し案が残っている(一二号)。
 京都関係については、以下の動きがみられる。
 京都についての老中間部詮勝の独断先行に直弼が苦慮していることは、京都所司代酒井忠義側・九条側に伝えられており、酒井側からは、酒井からの書状を間部一名宛てとしてきたのを、今後は、連名宛に変更したいとの意向が、三浦の一存というかたちで伝えられている(三〇号付属史料)。
 直弼から九条家に、将軍「御手元」から禁中への進物を再開することを、准后夙子を介して働きかけることを、内々に依頼し、将軍「御手元」より九条家への進物を大老井伊家が仲介して渡している。なお、このとき、井伊家からも、九条家に慶祝の進献を行っている。
 九条家への千石加増等については、新領地をどこにするか、折衝が続けられている。また、九条家家士島田龍章の功を評価し、幕臣に登用してほしいとの九条側の希望に対し、長野・三浦は、翻意を促している。
 他に、土佐・高松・桑名などが盟約を結んだとの大島大権現の神託を長野に報じる長野門人の書状(七号)、経費節減のため鳥見・鷹匠の人員削減を図るための目付からの探索報告(五四号別紙)、フランス国王より将軍への贈答品受取覚(一三〇号)、東本願寺再建への幕府援助を願う書状(一三一号)などを収めた。
 なお、捺印については、鮮明な画像を収録するため、本冊では、史料保存技術室で印影を模写したうえ、収録した。
(目次一六頁、本文三五六頁、口絵図版一葉)
担当者 宮地正人・杉本史子・箱石大

『東京大学史料編纂所報』第34号 p.27