東大寺図書館所蔵「華厳五教章下巻抄(断惑義抄)」紙背文書の調査

一九九六年七月九日、東大寺図書館において、「僧平晟山地施入状 延喜十九年十一月十三日」の調査を行った。本文書は、同館所蔵の尊玄撰「華厳五教章下巻抄(断感義抄)」の紙背文書として伝来したもので、堀池春峰氏により『東大寺遺文』四(東大寺図書館、一九五二年)に紹介され、『平安遺文』には四五五四号文書として収録されている。『東大寺遺文』一の解説に拠れば、尊玄は、康治二年(一一四三)生、中古東大寺倶舎宗「四英」の一人に数えられ、建保五年(一二一七)「華厳孔目章鈔」八巻を著し、鎌倉時代の華厳教学の隆盛をもたらすのに功があった碩学と思われるが、詳しい伝記は不明という。「尾張擬講」「尾張已講」と称される点から、父が尾張国守であるか、あるいは生国が尾張ではなかったかと推測される。「華厳五教章下巻抄(断惑義抄)」は、文治四年(一一八八)から五年にかけて執筆された彼の初期の著作で、尊玄宛の書状などが紙背文書として使われている。本文書は、紙背文書の中では唯一時期が離れたもので、紙面には河内国錦部郡印・観心寺印が押され、もとは観心寺文書かと推測される(『東大寺遺文』四・凡例)。こうした点から、本文書の作成過程や、尊玄の手に渡るまでの伝来過程などが注目されるところである。現状で本文書は袋綴の紙背となっており、写真撮影は不可能であった。今回の調査は『大日本史料 第一編 (補遺)別冊二』(一九九七年三月刊行)編纂のために実施したものであり、本文書の釈文・所見等は延喜十九年雑載・仏寺の条に掲載した(本所刊行物の項参照)。
(石上英一・山口英男)

『東京大学史料編纂所報』第32号