大日本史料第五編之三十

本冊には、後深草天皇の建長元年(1249)5月から6月までの史料を収めた。
 この間の主な事柄としては、西大寺四王堂における釈迦仏開眼供養(5月7日条、2頁)、亀山天皇の誕生(5月27日第1条、358頁)などがある。また2月1日に焼亡した閑院内裏、3月23日に焼亡した蓮華王院の再建に関する記事も見える(5月20日条、340頁、5月27日第2条、364頁)。これらの事業には幕府が積極的に関与しているので、この時期幕府が西国の田文調進を命じている(6月5日条、374頁)のも、あるいはこれに関係するのかもしれない。
 これらの記事の中でも最も量的に多くを占めているのが、5月7日条の西大寺釈迦仏開眼供養に関するもので、これが実に284頁に及んでいる。これは釈迦仏の像内納入文書をできる限り多く翻刻したためである。像内納入文書はかなり朽損が進んでおり、展開不可能なものもある。また展開できても解読は相当困難である。結縁交名は8巻に成巻されているが、そのうち2巻はそれぞれが一貫した交名で、そのうち1巻の末尾には6738人という人数が記されている。この2巻については全文の翻刻に努めた。残り6巻は1紙から数紙に書かれた交名を集めたものである。この6巻については判読できたもののみを翻刻したので、なお未翻刻のものが相当数ある。交名間に人名の重複も認められるので、メモとして作成されたものとそれを清書したものが混在しているのではないかとも想像されるが、これらの交名の性格についての研究は今後の課題である。
 西大寺釈迦仏開眼供養の記事に関連して、西大寺所蔵木造釈迦如来立像の正面・右側面・背面・左側面像を網版で掲げ、光背つき正面像のコロタイプ図版を挿入した。なおこれらの写真原版は奈良国立博物館よりご提供いただいた。記して謝意を表したい。
 西大寺叡尊の同朋でともに自誓受戒を行った唐招提寺覚盛が5月19日に死去した。同日の第2条にその伝記を収めた。
(目次5頁、本文401頁、挿入図版1葉)
担当者 黒川高明・近藤成一

『東京大学史料編纂所報』第32号 p.15*-16