大日本維新史料 井伊家史料二十

本冊には、安政六年七月から八月までを収める。
 本冊の政治史上の大きな事件としては、八月二十七日の前水戸藩主徳川斉昭・現藩主徳川慶篤以下水戸藩関係者、および幕府役人の処罰をうかがうことができる。斉昭「科書」案については、老中松平乗全が大老井伊直弼に渡し、直弼が添削のうえ、老中一同が検討している。申し渡し内容について、推敲が繰り返され、評定所五手掛が相談した内々の内容を、町奉行池田頼方から直弼に提出している。また、裁決申し渡しの上使派遣のため、寛永九年駿府藩主徳川忠長に除封を、元文四年尾張藩主徳川宗春に蟄居を申し付けた先例を調べている。
 このような状況下、高松藩から、水戸藩の動静が、幕府側に頻繁に報じられている。高松藩主松平頼胤は同藩横目・徒目付・押之者に命じて、水戸藩邸の動静、小金宿・行徳宿などの南上水戸藩士民の様子などを探らせた届書を直弼に送付させている。また、常陸府中藩主松平頼縄から届けられた、同藩大目付よりの水戸藩士南上の報を、高松藩にて書写し、同藩側役から彦根藩側役に送付している(四五号)。
 これらとは別に、幕府徒目付・小人目付、町奉行所定廻、関東取締出役も、水戸関係者の様子を探索しており、「幕府水戸藩士民探索関係史料」として一括した。
 京都関係では、八月四日付老中連署奉書(三三号)により、将軍襲職祝いの名目で、禁裏への進上金、関白九条尚忠への加増、堂上地下役人への下付金、武家伝奏広橋光成への白銀支給が、京都所司代酒井忠義に通知された。各支給内容については、直弼が案を作成している(三四号付属史料)。
 一方、京都では、コレラが猛威を奮い、死者「およそ四万六千人」(三二号)に及んだ。将軍への降嫁の候補者をともなっていた関白九条尚忠娘夙子の生んだ富貴宮(孝明天皇第二皇女)も八月四日死去。九条家家士島田龍章は、彦根藩士長野義言にあて、九条尚忠等の大落胆をつたえるとともに、降嫁候補者として、和宮と孝明天皇第三皇女寿万宮の名を挙げ、直弼の意向をうかがっている。和宮については、有栖川宮熾仁親王との婚姻が内定しているが、皇女との婚姻では、賄料三百石以外の宛行がないため、熾仁親王側は断わりたい意向であることを報じている(四一号)。
 そのほかの幕府関係としては、箱館表とその道中筋(仙台・盛岡藩内)の情勢を小人目付が報じた届書(一五〇号)、神奈川奉行についての勘定奉行等上申書(一五二号)など、五ヶ国条約により貿易港とされた各港に関連する史料が散見される。また、開港後の銀の海外流出について、京都西町奉行を罷免された浅野長祚がこれを揶揄し(四六号)、安政一分銀鋳造に対しては、高位と劣位の銀貨が混交するのを避けるため、二分判銀鋳造を建議する上書がだされている(一五四号)。
 なお、各史料の印影を、捺印箇所に写真掲載した。
(目次一八頁 本文三七六頁 口絵図版一葉)
担当者 宮地正人・杉本史子・松本良太

『東京大学史料編纂所報』第32号 p.19*-20