大日本近世史料 市中取締類集二十二

本冊には、旧幕府引継書類の一部である市中取締類集のうち、御参詣調之部・立商人并荷車日傘之部・鳥類鉢植之部・町人衣服之部一冊、高價翫物之部・雛菖蒲刀之部一冊を収めた。
 御参詣調之部は、天保十四年四月に実施された将軍家慶の日光社参に関する四件からなるが、社参御供の武家が雇用する人馬とその賃銭についての取調を中心とする第一件が大半を占めている。江戸市中の日雇渡世業者のうち上総屋ら八名が安価で人足の調達を請け負うことになるが、右八名以外の日雇渡世業者から更に賃金引き下げの申し出があったことも知られ、日光社参に供奉する武家の人足調達の実態や、それを請け負う業者の動向が知られる。他に御参詣調之部には、田安家より町奉行への江戸〜川口宿間の日雇人足賃銭問い合わせの件(第二件)、新吉原町名主より恒例の花植興行見合わせ伺いの件(第三件)、および参詣留守中江戸市中火之元守方出精につき町々名主褒賞の件(第四件)を収める。
 立商人并荷車日傘之部は五件からなり、そのうち第一件は、天保十二年の府内町道場の引き払いに伴う道場周辺の立商人の扱いをめぐる一件である。町道場引き払いの方針を受けて、町奉行が立商人の禁止を申し渡したが、寺社奉行が町道場の取調中の引き払い延期を認めた。そのため町奉行は、商人のみ制止しても町道場がそのままでは違反は止まないので、引き払うまでは立商人を許すべきと主張、寺社奉行との意見の相違が窺えて興味深い。第二件は、尾張徳川家から三都以外で米穀や諸品を牛車で運送することを禁じた法令があるのかとの問い合わせの一件(同十三年)。第三件は、日傘の使用禁令が緩んできたことに対する対策の一件(同十四年)。第四件は、荷車が禁止されていた本所深川で、以後は橋を除いて許可することを伺った一件(弘化三年)。第五件は、坂道での過積載の大八車等の取り締まり要請を受けた町奉行が対策を協議した一件(弘化四年)で、車力たちが過積載のまま坂道を引き登るのを晴業としていること、そのために起こった事故についての風聞書もみられる。
 鳥類鉢植之部は、弘化二年九月から翌二年三月までの間に行われた鳥類・鉢植物の取調に関する一件のみで、奢侈の取り締まりが弛んできたため再び引き締めを狙ったものである。この一件の中には三点の風聞書が収められているが(第四・五・六号)、これらは御庭番の風聞書と思われ、特に第四号は三四ヶ条にも及ぶ長文のもので、「御改革以来市中其外都而相弛候儀及見聞候ハゝ可申上旨被仰渡候ニ付、左ニ申上候」とあるように、鳥類・鉢植物に限らず改革の弛緩状況を全般にわたって取り調べている。とりわけ祭礼、辻売女・飯盛女、料理茶屋などについて詳しい。女髪結について、夫婦で手軽に稼げるが、妻に稼がせて無職でいる夫は取り締まるべきではないかとしている。また、改革組合村についての在方の風聞も書き上げている。
 町人衣服之部は五件からなるが、第一・三・四・五件が、天保十三年から同十五年にかけての、町人の華美な衣服や髪飾等の取り締まりに関する件である。このうち第五件は、天保十五年に「去冬頃より何となく人気ゆるみ…」という状況を受けて、町人のみではなく武家方を対象とした触書も検討されている。なお、第二件は、天保十四年に、水戸徳川家より高齢の褒賞として華美の羽織を下賜された同家用達町人が、奢侈禁令に振れるのではないかと申し出た一件である。
高價翫物之部は、天保十三年から十四年にかけての奢侈の取り締まりに関する一四件からなっている。子供手遊品の扱い(第一・二件)につづいて、第三件以降においては、町人が市中売買・御慰御用のために仕入れ所持している翫物の銀器、高蒔絵の器類、高価の小間物・手遊びの類の取計方について扱われている。銀器類は銀座へ差し出すこと、および高価の品の町方売り渡しを禁ずるなどの取締方針が示されるとともに、銀器類の差出方の進捗状況や、広敷用人や細工頭との掛合などが収められている。また、日野屋・大和屋・平松屋・岩附屋・黒江屋・木原伝兵衛・藤木屋・升屋・豊島屋・橘屋・川村屋らの所持品の書上や、諸家入用品・市中売買品の値段書、御慰御用品上納願書などが含まれている。
 雛菖蒲刀之部は、毎年雛市の取締に当たってきた雛屋行事につき、株仲間禁止令が出されたための対応に関する一件(天保十三年)、花塗真鍮箔蒔絵の雛小道具の扱いについての一件(同年)、菖蒲刀兜人形幟の売買についての一件(同年)、雛類商方について、正路の売買を条件に市場商物と同様に商うことを認めた一件(天保十四年)の四件からなる。
(例言一頁、目次一七頁、本文三四六頁)
担当者 藤田覚・佐藤孝之・杉森玲子

『東京大学史料編纂所報』第31号 p.19*-20