大日本史料第八編之三十六

本冊には、延徳二年三月一日から四月是月までを収める。
禁中関係の事項としては、節供御祝(三月三日条)、月次和漢聯句御会(三月七日条)、庚申守(三月八日条)、北野社の火による廃朝三日(三月二十二日条)、嘉楽門院第三回御忌辰(四月二十八日条)などを収める。後花園天皇の後宮、後土御門天皇の生母である嘉楽門院は文明三年に出家、長享二年に崩御された(第八編之二十一、長享二年四月二十八日条)。この年が第三回忌にあたり、清凉殿に法華八講を修せられ、その準備、式次第などの関連記事が日記にみられる。『御八講次第』などの別記写本も少なくない。この時期の朝廷儀式として規模の大きなものであったので類書も数種ある。本冊にはその主な記録の他に、本所が古書肆より新たに購入した『延徳二年御八講記』一巻を収録した。本書は姉小路基綱筆仮名記にあたる。本文末尾に大永四年七月、転法輪三条実香花押の奥書があり、その後に三条西実隆の跋文と御製長歌がついている。類書のなかでもこれらを備えたものは少ないので注意すべきものであろう。書写されたのはやや後の頃とみえるが、その親本のもしくは書写の際に生じたと思われる誤字もあり、他本との文字遣いの差異もみえるので、参考のために内閣文庫本を以て一校した。管見の中では大永四年転法輪三条実香の奥書をふくむ写本は他になかったが、前田綱紀『桑華書志』にこの写本につながるらしき一本についての記事がある。
官位の任叙は、太政大臣近衛政家の辞任(三月二日条)、右大臣花山院政長の辞任、近衛尚通の補任(三月五日条)、中御門宣胤・勧修寺経茂・滋野井教国の叙正二位(三月七日条)などである。
幕府関係の事項としては、摂津守護細川政元の下国と帰洛(三月五日条)、足利義煕一周忌法会を相国寺常徳院に修したこと(三月二十六日条)、足利義政百日忌辰を相国寺鹿苑院に修したこと(四月十六日条)、日野富子が香厳院喝食清晃に与えた小河第を足利義視が毀たしめたこと(四月二十七日条)などがある。
神社・仏寺関係の事項としては、仁和寺道永法親王・萬松軒宗山等貴が春日社・興福寺に参詣したこと(四月四日条)、春日社法華八講(四月九日条)などがあり、五山関係としては、松嶺智岳その他の住持交替(三月四日条)、惟明瑞智の鹿苑院入寺とその他の諸寺塔主交替(三月六日条)、桂林徳昌の建仁寺再住(四月二十日条)などがある。
この他、蜂起した土一揆が北野杜に拠り、幕府が兵を遣し、一揆が放火して社殿を燼いたこと(三月十七日条)がみえる。この一件については北野社関係の史料によって詳細をうかがうことができる。
死没記事としては、常陸佐竹義治が卒し(四月二十五日条)、伝記史料を収めた。
足利義政の没後、儀式、法会、人事が大過なく営まれて、朝廷と幕府がやや小康状態を保った時期にあたるといえる。
(目次七頁、本文三五二頁)
担当者 今泉淑夫・末柄豊

『東京大学史料編纂所報』第30号 p.14*-15