大日本古文書家わけ第十七「大徳寺文書之七」

本冊は前冊にひきつづいて、大徳寺本坊所蔵の「己」箱文書の一部二一三点を収める。「己」箱には本寺関係文書のほかいくつかの塔頭文書が収められ、内容的には所領関係の文書が大半を占めている。本冊の中心をなすのは竜翔寺・養徳院・本寺関係のもので、他に如意庵関係文書と天正十四年・同十九年の検地指出の類を含む。
 竜翔寺関係のものは前冊を直接承けるもので、本冊には大永から天文に至る納下張・年貢納帳・校割帳を収める。ほかに山城三栖庄の収納に関する文書十数点があるが、これは前冊に掲載した同圧関係文書の補遺をなすものである。
 養徳院関係のもののうちややまとまっているのは、西今村庄・清水庄・甲良庄内尼子郷興禅寺等近江所在の荘園末寺関係のもので、「丁」「戊」箱の「養徳村院領近江国所々証文」と併せて、室町時代の近江の荘園を研究するのに一つの手懸りを提供する。ほかに山城国に関するものとして、東坊城家領大学寮領田・松崎郷・太秦郷の史料が散見するが、これは「丁」箱の「養徳院領山城国散在所々等証文」及び前冊の関係文書と関連をもつ文書である。
 つぎに本寺関係文書であるが、これは無年号文書及び損傷の甚しかった文書を修覆したものをまとめた関係上、一定のまとまりをもたないが、内容的には興味あるものを含んでいる。特に無年号書状のグル−プの中には、松永久秀・丹羽長秀・六角義弼・柴田勝家・十河一存・前田玄以・三好長慶等武将の自筆書状があり、中でも狩野元信書状は、その自筆書状の唯一のものとされ、「古文書時代鑑」に収められている。そのほか文亀から元和に至る大徳寺規式、寛永十二年京都所司代板倉重宗が出したキリシタン禁制に関する達書等注目すべき史料もある。最後に天正十四年・同十九年の検地指出及び請文を載せているが、これは次冊に収める予定の太閤検地関係史料の一部をなすものである。
担当者 稲垣泰彦。
(目次一九頁、本文三一〇頁)

『東京大学史料編纂所報』第3号 p.67*