大日本史料第十二編之五十三
本冊には、元和八年(一六二二)年末雑載のうち禁中、幕府、諸家の各条を収載した。うち諸家の条は、全体で五〜六〇〇頁に達するものと見込まれたため、その途中までを本冊に収め、続きは次冊にまわすことにした。
禁中の条には、権大納言日野資勝の日記である『凉源院殿御記』『資勝卿記』の関係箇所をはじめ、公家家譜類から諸家の叙任記事等を載せた。
幕府の条では、将軍秀忠や世子家光の行為(諸大名との間の賜物・献物授受など)に直接関わる史料を最初に掲げ、次いで幕府要職者の動向、幕府旗本らの拝謁・任免に関する記事を収めた。分量的には最後の幕臣関係史料が本条の過半を占めている。
諸家の条は、公家、武家の順で並べ、公家各家の配列は官職順、武家各家は概ね所領高の順で配列した。本冊に収録したのは、公家各家と、武家のうち金沢前田・北荘松平・名古屋徳川・仙台伊達・鹿児島島津・若松蒲生・和歌山徳川・福岡黒田・広島浅野・萩毛利・佐賀鍋島・安濃津藤堂・岡山池田・米沢上杉・小倉細川各家の関係史料である。なお、元和七年以前の冊では知行の条を立条し、家臣への知行宛行などの史料は同条に収めていたが、本年はこれをやめ、諸家の条に合叙することにした(神社・寺院の知行関係史料はすでに社寺の条に収録している)。
諸家の条の中で比較的まとまった史料としては、伊達家の『伊達政宗記録事蹟考記』と細川家の『仲津江』が挙げられる。
『伊達政宗記録事蹟考記』は、内題に「政宗君治家記録引証記」などとあることから知られるように、仙台藩が『伊達貞山公治家記録』を編纂した際に家中から提出させた文書・記録類を素材とし、それらを編年順に配列した史料である。本所所蔵本は、明治十二年頃修史館が岡千仭氏(仙台)所蔵本を謄写したものであり、政宗が家督を継いだ天正十二年(一五八四)からその没年の寛永十三年(一六三六)に至る全三十二冊(三十五巻、うち巻四〜六・二十六・三十一下は原本欠)から成っている。本条には、元和七〜八年分に当たる第二十六冊(巻二十九下)から、江戸屋敷において書き留められた職務日記である「元和八年正月元日御礼衆之帳」「元和八年二月廿日より之御日帳」等を抄録した(一部は割裂して疾病・死歿、学芸・遊戯の条に分載)。右の二冊の日記は、『伊達政宗卿伝記史料』(一九三八年刊)に『政宗君治家記録引証記』(伊達伯爵家蔵本)の書名でごく一部が引用されているが、その後まとまった形では活字化されていない。他大名・旗本その他諸家と政宗との往来が詳しく書き留められている点で、価値のある史料である。
『仲津江』は永青文庫所蔵(熊本大学附属図書館保管)の史料で、元和八年一年間に小倉の惣奉行から中津の奉行(忠興付)らに送られた書状の控えである。全体で二百丁ほどの分厚い冊子であるが、本条にはその約半分を収録した。この年、細川忠利は年初以来江戸に留まっており、父忠興は十一月に出府するまで中津にあった。父子の間でやりとりされた書状は『細川家史料』『部分御旧記』に収められているが、本史料からは、さらに具体的な家中の動静や、忠興から小倉に対して出された細々とした指示の詳細などを知ることができる。なお、本史料の残余の部分は、年貢・課役、法制、貸借、算用、殖産の各条に収める予定である。
(目次二頁、本文三六六頁)
担当者 高木昭作・宮崎勝美・山口和夫
『東京大学史料編纂所報』第29号 p.17*