大日本古文書 蜷川家文書之五

本冊には、前冊に引き続いて内閣文庫所蔵蜷川家文書第六集・十五集・十九集所収の有職故実書類を、付録として収めた。
 全体に有職故実書の特徴として図が多く、特に付録五八号のようた器物名所図や、同五九号の犬追物の馬場図などでは、絵と文字が一体のものとして機能している。このような史料を収録する場合、一つには写真掲載という方法があるが、本冊では利用者の便宜を考え、文字部分はすべて翻刻して図版と組み合わせる方法をとった。ただし今後は原図の写真をも併せて収載する方向がより望ましいであろう。
 次にいくつかの史料について、若干の説明を加える。付録五四号は付手旗に関する故実書であるが、旗関係のものは蜷川家文書中の故実書類ではこれ一点であり、他にも類例はそれほど多くないといえる。付録五六号「騎術指図」は、小野均氏所蔵文書(影写本三〇七一・三六/一〇三)中の故実書と前半部分(本文一八頁の庭乗騎法図より前の部分)が全く一致する。しかし後半部分はそれぞれ異なり、小野氏所蔵文書の故実書の方には天正八年の奥書がある。同氏所蔵文書のなかには他にも蜷川家原蔵と考えられる文書が含まれているが、この二つの故実書も比較検討する必要があろう。
 付録六七号「山上入道馬術書」は、本所架蔵影写本『山上入道馬術書』(三〇八八/二)と内容が一致する。ただしこちらは奥書によれば慶長十三年の写しであり、南部家に伝わったものである。両本とも前欠で、この時点で既に前半部分の失われたものが流布していたらしい。
 付録七四号「蹴鞠条々」は、飛鳥井家が門弟に与えた伝書の写しで、飛鳥井家の代表的蹴鞠書の一つである『内外三時抄』を簡略化して、二十五箇条にまとめた内容となっている。平成三年度科学研究費補助金研究成果報告書『蹴鞠技術変遷の研究』(研究代表者桑山浩然)所収の大津平野神杜所蔵難波家旧蔵蹴鞠書略分類目録には、本書の本奥書と日付を同じくする『蹴鞠条々』(奥書、「延徳二年七月日沙弥栄雅」)がみえる。また同目録には、大内氏や薩摩の伊集院氏に伝授された『蹴鞠条々』の諸本がみえ、同書が、中世後期に蹴鞠の家として急速に勢力を伸ばしていく飛鳥井家の、武家等の門弟に与える基本的な伝書となっていたことが窺われる。なお飛鳥井家の蹴鞠書については、渡辺融・桑山浩然『蹴鞠の研究』(東京大学出版会一九九四年)を参照のこと。
 付録七八号「聞書少々」は蜷川親孝の筆にかかり、伊勢貞宗の故実に関する言葉をはじめ、永正五・六年頃から永正十年までの間に、親孝が耳にした故実関係の事項を書き留めたものである。表題にあるように聞書、メモの類であるが、武家故実がどのような契機で成立してくるのかという問題や、故実書の成立に先行して存在する様々な素材のあり方を示していてたいへん興味深い。
 付録七九号は武家書札礼に関するものであるが、かなり詳しい内容をもっているので、他の武家書札礼に関する故実書類との比較検討が望まれる。
 なお同号の紙背文書は、表側故実書の筆者である蜷川道標(親長)に充てられた書状類で、次号の紙背文書も同様である。年代推定可能な書状から慶長七・八年頃のものが中心といえるが、差出人については、稲葉通孝・関一政のような大名をはじめとする一部のものが判明しているに過ぎない。おそらく親しい旗本や近親者からの書状と考えられ、前冊に収録した道標充書状類と共に、彼の交友範囲などを知る手がかりとなる。
(例言四頁、目次四頁、本文二七七頁、花押一覧一丁、価六、四〇〇円)担当者 久留島典子

『東京大学史料編纂所報』第29号 p.20**-21