大日本史料第六編之四十二

本冊には、南朝長慶天皇文中三年=北朝後円融天皇応安七年(一三七四)の是歳条、および年末雑載をおさめる。
是歳条には、対外関係史料のほか、赤松貞範死歿などを掲げた。貞範死歿条では、貞範に給与された文書や、貞範が所領の押妨者として名を見せる文書のうち『大日本史料』未収録分を載せたが、貞治三・四年頃、大徳寺領播磨国小宅荘三職半分の押妨者として登場する史料を逸した(『大日本古文書 大徳寺文書』一 一八九〜一九一)。また、連絡按文では、『太平記』の所見の多くを割愛しているので注意されたい。
雑載は、気象・災異、社寺、諸家、贈答・往来、学芸、疾病・死歿、荘園・諸職、寄進、売買、譲与、貸借、年貢を立項した。
社寺の配列は、吉田東伍『大日本地名辞書』に拠り、地域順を原則とし、板碑類のみ、最後に独立させ、地域順に並べた。板碑類は、当初、市町村史などで確認し得た全点を収録すべく原稿を作成したが、頁数の関係から、人名など、特記事項を有するものに限った。種字と年月日だけの銘文は収録されていない点、ご注意いただきたい。また、すでに二点、追加すべきものが見つかっており、今後とも増えると予想される。
学芸は、おおよそ、公家の日記、国文学関係、禅宗関係、版本の刊記、大般若経奥書、聖教奥書(記述、伝授、書写、その他)の順に配列した。うち、中巌円月の賛をもつ京都長福寺所蔵「維摩居士図」を図版として挿入した。
荘園・諸職は、日記に見えるものを冒頭に掲げ、他は、荘園等の地域順に配列した。
寄進に収録した『万福寺文書』の浄阿寄進状に関連するものとして、この年の日付を有する、万福寺本堂の棟札があるが、写真からの判読が困難なため、収録を見合わせた。なお、寄進に、次の二点を追加する。
・応安七年正月二十五日 比丘尼真証寄進状(狩野文書)
・応安七年二月四日 田原氏能寄進状(土居寛之氏所蔵文書)
貸借では、『東寺百合文書』チ函の、借書引付が興味深い。また、次の一点を追加する。
・応安七年二月三日 すけ三郎利銭借状(黒鳥村文書)
年貢では、『東寺百合文書』ム函の東寺領東西九条の年貢名寄帳が、やや大部な史料である。また、同寺領近江国三村荘に関する史料も多く収める。
なお、『豊原信秋記』からは、本冊に多くの記事を収録した。本書は非常にユ二ークな内容を持ち、同時代の他の日記とは大きく異なった視点・生活圏の所産といえる。音楽関係記事が貴重なのは勿論だが、記主の交友関係が丹念に記録されており、登場人物が豊富かつ多彩である点も見逃せない。ただし、前回の出版物紹介(『所報』二五号)の際にも触れた通り、底本とした曼殊院所蔵続教訓抄紙背本が判読困難なため、固有名詞の判読、実名の特定等には、不備が多い。ご検討をお願いしたい。写本は、『教訓抄』『続教訓抄』の写本と一具に伝来するため、数は多いけれども、底本以外は、八月途中からを収録しないうえ、良質なものは見あたらず、対校に用いた京都大学図書館本(単独の写本)も例外ではない。
(目次三頁、本文四四一頁、挿入図版一葉)
担当者 黒田日出男・山家浩樹・本郷恵子

『東京大学史料編纂所報』第28号 p.72*-73