大日本史料第八編之三十五

本冊には、延徳二年正月七日から二月是月までを収める。
禁中関係の事項としては、復興された踏歌節会(正月十六日条)、月次和歌御会(正月二十四日条)、月次連歌御会(正月二十五日条)、皇太子勝仁親王御所月次和歌御会・連歌御会(正月三十日条)、宮・門跡・廷臣等の年頭参賀(正月十日・二十六日条)などを収める。月次御会の各条には、二月以後十二月までの御会および公家諸家の月次和歌会・連歌会を合叙し、本年中の和歌・連歌史料の大半を収めている。
官位の任叙は、二条尚基右近衛大将兼任(正月十六日条)、西洞院時顕右兵衛督還任(正月二十五日条)、坊城俊名蔵人頭補任(二月是月条)、中院通世(正月二十二日条)・洞院公連(正月二十七日条)叙従三位などである。
幕府関係の事項としては、正月七日に薨じた将軍足利義政(伝記は八編之三十四収載)の後継者足利義材の嗣立と父義視の幕政摂行(正月十三日条)、義政の中陰勤行次第、等持院への埋葬(正月二十三日)、太政大臣追贈(二月十七日)、相国寺鹿苑院転経会(二月二十三日)、東山第を寺とし慈照院と称すること(二月二十六日)などを収める。初七日忌(正月十三日条)から尽七日忌(二月二十四日条)に至る中陰仏事の重要史料として、葬礼一切の事を幹した鹿苑院侍衣彦龍周興の編した『慈照院殿諒闇総簿』(相国寺慈照院所蔵)の大部分を収録した。校訂は原本の写真によったが、その際本所架蔵の影写本(3004/1慈照院殿諒闇総簿)に錯簡の存することが判明した。将軍交替の影響は未だ表面化していないが、多年武家伝奏を勤めた勧修寺教秀が致仕せんとして慰留されていることは、その前兆の一つであろうか(正月是月条)。
神社・仏寺関係の事項としては、皇太神宮祢宜荒木田守朝等の社殿修造(正月是月条)・御裳濯川堤防修理(二月是月条)の請願、春日祭(二月一日条)、興福寺薪猿楽(二月六日条)、東大寺正倉院の蘭奢待献上(正月二十九日条)などがある。正月七日の相国寺住持月翁周鏡退院の条には、本年中の五山・十刹・諸山住持交替の按文を付し、便に供した。
地方の動向を示すものとしては、薩摩島津忠昌の犬追物興行(正月十八日条)、美濃守護代斎藤利国が悟溪宗頓を迎えて汾陽寺の中興開山と為すこと(正月十八日条)、美作における山名政豊勢と赤松政則勢の合戦(二月七日条)、安芸吉川経基が同族経為の播磨の戦功を賞すること(二月九日条)、細川政元が丹波・摂津の北野社領を守護不入地と為すこと(二月二十五日条)などがある。
死没者は、賀茂社前社務森貞久(正月二十九日条)と上杉持房(二月十日条)の両人。
(目次九頁、本文三八〇頁)
担当者 小泉宜右・今泉淑夫

『東京大学史料編纂所報』第27号 p.70**-71