大日本古記録 民經記六

本冊には、天福元年正月より同年四月迄の日次記と紙背文書とを収めた。記主藤原経光は二十二歳。正五位下、治部権少輔、蔵人だったが、正月二十八日に右少弁に任ぜられた(止権少輔)。四条天皇は三歳で在位二年目。九条教実が摂政だが、教実の父で天皇の外祖父に当る道家が権勢を振っている。
 経光は宿望の弁官に任ぜられて官仕の新段階に入り、前途への見通しが開ける。当然のこと乍ら、これより五位蔵人としての活動と弁官としての活動とが並行する。
日記にも両者が記されるが、四月十日松尾祭、同月十一日梅宮祭、同月十六日改元以後政始は、弁官として初の参行・参仕の折の故か、特に詳しく記されている。
 その他の主な記事としては、正月二十四日県召除目、四月三日中宮院号定(藻璧門院)、同月十五日改元定、同月十六日大嘗会国郡卜定(この他大嘗会関係の記事は多い)、等がある。
巻頭図版には正月暦記の一部分を掲げた。具注暦記の書き方の一例を示す為である。
 この時期迄に経光が日記記入に用いた具注暦は、�間明き無しのもの、�間明き二行のもの、と本冊の�間明き三行のものとが存する。本冊の暦記には、図版に示す如く、(イ)日記目録様に簡単に書く、(ロ)小字で詳しく書く、の二形式が並んでいる。大体の傾向を言えば、(イ)は公的活動・事柄、(ロ)は私的生活の記事に充てられている。公的分野については、同時に書いた別の日次記(文書の紙背を用いた)に詳記したのである。
(例言一頁、目次一頁、本文二〇五頁、挿入図版一頁、岩波書店発行)
担当者 石田祐一

『東京大学史料編纂所報』第27号 p.72*-73