大日本史料第八編之三十四

本冊は、延徳二年正月一日条から七日条までを収める。年頭にあたって応仁二年以来廃絶されていた小朝拝及び節会の復活された記事を収める。ついで四日条に白馬・踏歌節会を復興する動きがみられるが、将軍足利義政の薨去により、停止される。七日条はその過程のあらましと足利義政の伝記史料を載せる。
連絡按文にみるように、義政関係の事蹟は、第八編之一(応仁元年)以後の出版によって、およそ網羅的に立項されており、その意味では、伝記史料の編纂はかえって困難なものである。部分的な重複は仕方ないとしても、それをなるべく避けながら伝記としてのスタイルを整えなければならない。
そのために、薨去前後の関係史料、官歴・略伝に関するもの、家族、側近女中衆、居所、逸事、信仰、講学・蔵書、所筆、文芸、書画・器物の愛好、同朋衆・諸芸の者愛顧、肖像などの要点を決めておいて、これらの諸点に関する既出の史料を整理し、未収の史料を補った。おわりに連絡按文と花押等を収めた。
これらの諸点について、いくつか触れておくことにする。
義政の誕生については、永享七年と八年の両説があるが、定説をみるにいたっていない。また義政の初政期における今参局の立場は微妙であり、かつ重要なものがあるので、局に関する主要な史料は集中的に採用した。
義政の文芸については、その広範な活動にもかかわらず、研究はすすんでいないのが実情である。たとえば、その詠草についても、和歌・連歌ともに問題がのこされたままである。和歌については、長崎健氏を中心に研究会をもち、家集の底本を何本にするかを検討したが、結論にいたらず、とりあえず比較的よく整理されている書陵部所蔵の高松宮本を採ることにした。今後、定本の確定とともにその詠草の内容、文学的価値についての研究がまたれる。そこには、義政の思想をうかがう豊かな素材がみられる。連歌については、その発句集の検討が問題になる。伊地知鉄男氏の研究をたよりに、後鑑所収本と柿衛文庫本とを収め、後者については同文庫に赴いて新知見を得ることができた。これらの諸機関が便宜を与えられたことにお礼を申しのべる。またこれらについては奥田勲氏や上の研究会のメンバーのご教示をえた。記して謝意を申し上げる。
器物については、東北大学付属図書館所蔵の『君台観左右帳記』の全文を収めた。この書についてはすでにいくつかの注釈書や研究の蓄積があるが、他の類本との比較検討など、のこされた問題は少くない。今後の研究のために東北大本の誤字などもそのままのこした。同図書館が撮影の便宜をあたえられたことに謝意を申しのべる。また関係史料で近世のものも収めた。関係各位にお礼を申しのべる。
所筆に関しては、相国寺承天閣美術館保管の大光明寺所蔵「萬松」二大字を収めることができた。義政の自筆は意外に見当たらず、この書は「喜山」印もみえて、貴重なものである。他の関係史料についてもご配慮いただいた同館の有馬頼底氏に謝意を申し上げる。
肖像については、東京国立博物館本と京都市若宮八幡宮本を収めた。各位にお礼申し上げる。
花押は、その年代による変化をみるために時代順に並べ、原寸表示を原則としたので横列と縦列を併用した。
以上が義政伝記史料の概要であるが、このたびの編纂にあたって、終始協力を惜しまれなかったのは、相国寺慈照院の住職久山隆昭氏である。数年来同院へ出張して、貴重な史料の閲覧撮影を許された。のちには新築の書庫を開放されて、同院所蔵の史料の全貌をみる機会を与えられた。まだその目録の整理も作業なかばであるが、氏のご好意によって、思いがけない義政関係史料を見いだすことができ、編纂を充実させることができた。記して深謝申し上げる。
なおこの伝記編纂にあたった長い間に、多数の人々と諸機関のお世話になった。とくに明記しないが、ここに併せてお礼を申しのべる。
担当者 小泉宜右・今泉淑夫
(目次二頁、本文五六六頁)

『東京大学史料編纂所報』第24号 p.65